紀元前2世紀ごろに
アンティオキアのアレクサンドロスにより制作されたと言われるミロのヴィーナスはパリのルーヴル美術館でお目にかかれますが、その完成美にはいつ見ても感嘆を禁じえません。モナリザのある部屋とは違って、見学に来る人が少なく、筆者も少し待って誰もいない時を見計らって、写真を撮りました。うまく撮れたのでギャラリーに入れておきました。
図1 ミロのヴィーナス*1、眠れるヴィーナス*2、ウルビーノのヴィーナス*3
愛と美の象徴、また時には豊穣や愛欲の象徴としてのヴィーナスはローマ神話に由来し、ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』を始めとしてジョルジョーネやティツィアーノらルネサンスの巨匠たちの腕の見せ所となっています。
ヴィーナスは、普通ギリシャ神話のアフロディーテ(海の泡から生まれた者)と同一視されています。そこでは巨神族ティタ-ンの天空神ウラノスが、その息子クロノスに男性器を切り落とされました。それが海に落ちて浮かび上がり、漏れ出した精液と周りの泡が混ざったところからヴィーナスが誕生したと言われています。愛と美の女神と言うのにこんな猥雑な出自というのも何とも変な話ですが、元はと言えばウラノスが、その母であると同時に妻でもある地母神ガイアとの間に設けた何人かの子供があまりに醜い容貌だったため、彼らを幽閉してしまったことにあります。これに怒ったガイアが息子のクロノスに命じて、子供を愛さないのならば、もう子供を産まさせる必要はないとウラノスを去勢させたと言うことです。去勢がマイナーな農耕文化の日本人にとっては何とも卑猥な話ですが、去勢が日常的である牧畜文化では、どうと言うこともないのでしょう。とまれ、ヴィーナスはそれ以来、美の追求を目的とする芸術分野において数多くの作品を産み出すファンタジーの源泉となりました。中でも一段と有名なのが、ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生(La Nascita di Venere)』でしょう。次の「春」の前編ともいうべき絵です。
図2 ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』*4、『春』*5
泡の中から生まれたヴィーナスですが、女性器の隠喩(メタファー)である貝を筏に、「春」でも見る霊的情熱の象徴である西風の神ゼピュロスが追い風を吹き、その妻・春の女神フローラ(一説には朝のそよ風の女神オーラ)が口から白バラを振り撒き、陸地へと運びます。ヴィーナスが流れ着いた所はキプロス島の海辺で、理想郷ヘスペリデスにある黄金のリンゴの園ということになっています。そこで待っているのが、時間や季節の女神ホーラー(複数はホーライ)の中の一人で、ヴィーナスにローブを差し出しています。ローブには春の雛菊*6が、これからヴィーナスの侍女となるホーラーのドレスには矢車菊*7が刺繍してあります。ホーラーはまたヴィーナスに捧げるべき愛と婚姻の花・銀梅花*8の花輪も付けており、これら春の花々は愛と美、性と誕生を意味するものとなります。
同じくボッティチェッリの作で、同じくフィレンツェのウフィツィ美術館で見られる『春』も有名な寓喩です。ヨーロッパ中世の芸術では、先にみた教訓的なエンブレムと並んでこれらアレゴリー(寓意画)が盛んとなるに連れて、両者の区別もあいまいとなり、混同されるようになりました。
Seit Giorgio Vasari liegt die Identifizierung der mythologischen Figuren fest; allegorisch könnte man das Bild folgendermaßen deuten: La Primavera zeigt das Reich der Venus. Der Gott des Westwindes, Zephyr […], vermählt sich mit der Nymphe Chloris und verwandelt diese in die Frühlingsgöttin Flora. Deren Blumen stehen im April in voller Blüte, im Monat der Venus, der Göttin der Schönheit, Liebe und Fruchtbarkeit. Cupido ist der fruchtbare Geist, geboren aus der Verbindung von Venus und Merkur. Die drei Grazien gehören als niedere Naturgöttinen zum Gefolge der Venus. / Das Gemälde ist für Lorenzo di Pierfrancesco de'Medici anläßlich seiner Hochzeit […] im Mai 1482 gemalt worden. Es besteht heute kein Zweifel mehr darüber, daß das Bild eine Allegorie darstellt und zentrale Gedanken der neoplatonischen Philosophie verkörpert.*9
ジョルジョ・ヴァザーリ以来、神話に出て来る神々の身元は確定されている。寓喩としては、この絵を次のように解釈できるであろう――ボッティチェッリの春(プリマヴェーラ)は、ヴィーナスの国を描いている。春に吹く西風の神ゼピュロスが妖精のクローリスと結ばれ、クローリスは春の女神フローラとなる。その花々は、美・愛・豊穣の女神ヴィーナスの月である4月に満開となる。キューピッドはヴィーナスとマーキュリーの契りから生まれた豊穣の霊である。三美神は、低次の自然神としてヴィーナスのお付きである。この絵は、ローレンツォ・ピエールフランチェスコ・ディ・メディチの1482年5月の婚姻に際して描かれたものである。今日では、この絵が寓意を表し、新プラトン主義哲学の中心的思想を具体化したものであることに何らの異論を唱える者はいない。
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*1 Vénus de Milo : Musée du Louvre. Foto: DeepStSky
*2 Giorgione: Venere dormiente (Schlummernde Venus, 1510): Alte Meister, Dresden,
ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館。弟子のティツィアーノが仕上げたようです。ドストエフスキーが感銘を受けたラファエロの『システィーナの聖母』の斜め向かいに掛かっています。
*3 Tiziano Vecellio: Venere di Urbino (1538), Galleria degli Uffizi, Firenze, フィレンツェ ウフィッツィ美術館
*4 Sandro Botticelli: La Naschita di Venere (1485/86), ibid., 同上
*5 Sandro Botticelli: La Primavera (1478/82), ibid., 同上
*6 雛菊 - Gänseblümchen - daisy - pâquerette - Bellis perennis L.
*7 矢車菊 - Kornblume - cornflower - bleuet - Centaurea cyanus L.
*8 銀梅花 - Myrte - Myrtle - myrte - Myrtus communis L.
*9 Kunstdirekt.net, Allegorie, ここではキューピッドの父親はマーキュリーとありますが、ゼウスやマルスと言う説もあります。