その形態が普通でなく、
異様で醜怪なものを言う言葉で、魚で言うなら、オニオコゼやアンコウがこれにあたります。オニオコゼ(Inimicus spec.)は独英語でも、Teufelsfisch (Steinfisch) や demon / devil stinger、アンコウ(Lophius piscatorius)は Seeteufel や sea-devil (monkfish) と、日本では奇怪な鬼、西洋では不気味な悪魔と、その名は体を表したものとなっています。
奇怪・怪奇・奇異・奇妙・異様・醜怪・猟奇・不気味 -
bizzar - ludicrous, preposterous, bizarre - absurde, ridicule, insencé
など、この他にも様々な類義語が考えられます。
語源はイタリア語の grotta (Grotte 洞窟)ですが、カプリ島の青の洞窟やアルタミラやラスコーの洞窟ではありません。ローマ帝国の皇帝ネロの未完の宮殿群が15世紀になって地中から発見され、その宮殿(洞窟)に描かれていた奇妙な模様が洞窟模様と言われたことに拠ります。ラファエロがヴァチカンにこの模様を取り入れたところから美術史に言うグロテスク装飾が生まれました。これは「花飾りと小さく幻想的な人間と動物の像とを織り交ぜたアラベスクの装飾的な配置」(ウィキ)です。
文学ではシェークスピアの『あらし』のキャリバン、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダムの傴僂男』のカジモド、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の怪物などがグロテスクの典型とされています。
戦前の日本では江戸川乱歩あたりから猟奇ブームが引き起こされ、エロ・グロ・ナンセンスが一世を風靡しました。世間を震撼させた阿倍定事件などがこれに輪をかけるようにして起こりましたが、間もなく太平洋戦争に突入した、このあたりの雰囲気は大島渚の『愛のコリーダ』によく描写されています。
ミュージカル劇としてはロングランを果たした『キャッツ』ですが、その映画化作品は半人半猫が何ともおぞましく最低の評価を与えられています。
In der Verfilmung von Andrew Lloyd Webbers Musical-Klassiker "Cats" treten groteske Mischwesen auf, halb Schauspieler, halb computeranimierte Katze. Singende und tanzende Leute in einem Film sind schlimm genug, singende und tanzende Katzen-Menschen sind sehr, sehr gruselig. Bei der Verleihung der Hollywood-Schmähpreise "Goldene Himbeere" bekam "Cats" 2020 gleich sechs Auszeichnungen. Komponist Andrew Lloyd Webber war von der Filmversion seines Musicals so entsetzt, dass er sich spontan einen Hund zulegte, wie er nun dem Magazin Variety sagte. (SZ, Titus Arnu, 08.10.2021)
アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカルの古典『キャッツ』には半分は人、半分はコンピューター・アニメーションの猫と言うグロテスクな混ぜ合わせが登場する。映画の画面で歌い踊る人たちのまずさはこの上ないが、歌い踊る猫人間はぞーとするほどの酷さである。映画『キャッツ』はハリウッドの最低作品に与えられるゴールデン・ラズベリー賞を6部門で受賞している。ミュージカルの作曲をしたロイド=ウェバーはこの映画化された作品にショックを受けて、思わず犬を買ってしまったと『ヴァラエティ』誌上で明かしている。(『南ドイツ新聞』ティートゥス・アルヌ)
西洋中世ではカトリックの異端審問官が大きな力を振るい、川に投げ込んで、浮いてくれば魔女だと判断するようなグロテスクな様相を呈していました。
Als diese oberste Kirchenbehörde noch Inquisition hieß, hat sie Giordano Bruno, Galileo Galilei und deren Lehren verurteilt. Heute heißt sie Glaubenskongregation und verurteilt die Homosexualität. "Hat die Kirche die Vollmacht, Verbindungen von Personen gleichen Geschlechts zu segnen?" Auf diese Frage gab sie eine Antwort, die so unmissverständlich, kurz und überzeugend ist wie eine Ohrfeige. Es "wird geantwortet: Nein". Dieses Nein ist ein "Responsum ad dubium", also eine Antwort auf etwas, was angeblich in Zweifel steht. / Die Ohrfeige schafft eine zweifellose Klarheit, an der man verzweifeln möchte: kein Segen für gleichgeschlechtliche Paare. Und weil ein ordentlicher Patriarch nicht nur haut, sondern den Geschlagenen dann den guten Zweck der Klatsche erklärt, folgt dem Nein eine "erläuternde Note". Wer sie liest, wird von einer skurrilen Ehrfurcht erfasst vor so viel grotesk gescheiter Unfreiheit im Denken. Das hat alles seine Logik und Stringenz, wenn und weil die Glaubenslehre weiter auf ihrem Dogma beharrt. Das Dogma heißt: Sex ist allein in der Ehe von Mann und Frau erlaubt. Und die Ehe steht, so der Vatikan, unter der doppelten Forderung der Treue und der Fortpflanzung. Das sei Gottes Schöpfungsordnung und ewige Bestimmung des Menschen. Alles andere: Sünde. (SZ, Heribert Prantl, 10.04.2021)
このカトリック教会の最上級官庁は、かっては異端審問官と呼ばれ、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイとその教えを断罪した。今日ではバチカン教理省と呼ばれ、同性愛を断罪する。「教会には同性婚を祝福する全権が委任されているのか」と言う問いに対して教理省は、平手打ちの如く全く誤解の余地のない簡潔かつ説得力ある答えを出した。それは、「否」である。この否は「疑問への回答」、すなわち一見疑問視されていることの回答である。この平手打ちは、絶望に値するほど疑問の余地ない明確さをもたらした――同性婚への祝福拒否が確定したのである。そして立派な家長たるものは、ただ打つだけではなく、打たれた者にまた善意の平手打ちの意味も教えるものであるところから、否に「解説」が付けられている。これを読んだ人は、数多のグロテスクにも巧緻に考え抜かれた、思考における自由の欠如と言う様相を目の当たりにして一種奇妙な畏敬の念にかられることであろう。これは全て、信仰教理が依然としてその教義に固執し続けるならば、またそれ故に、論理的で緻密な思考の結果である。その教義とは――セックスは男女の婚姻でしか許されないと言う教えである。そして婚姻は、バチカンの教えるところでは、信義と生殖の二重の要請を満たさなくてはならない。これは神の創生秩序であり、人間の永遠の規定である。これ以外のあらゆるものは、罪となる。(『南ドイツ新聞』ヘリベルト・プラントゥル)
リナ・ウェルトミューラーは、当初は女優で、フェリーニの映画によく出ていました。
Italienische Regisseurin Lina Wertmüller ist tot: Ihre Filme zuweilen grotesk, ihre Erscheinung jederzeit auffällig: Die Filmemacherin Wertmüller erlangte weltweit Berühmtheit. Noch mit 91 erhielt sie den Ehrenoscar. (Zeit-Online, 09.12.2021, 16:58)
イタリアの映画監督リナ・ウェルトミューラーさんが死亡。彼女の映画は時にはグロテスクで、彼女自身は常によく目立っていた。世界的に有名となり、91歳になってもアカデミー名誉賞を受賞している。(『ツァイト・オンライン』)