貨幣としての金は、
最初は地金の形態をバックとした貨幣商品でした。
Es fragt sich schließlich, warum das Gold durch bloße wertlose Zeichen seiner selbst ersetzt werden kann? Es ist aber, wie man gesehn, nur so ersetzbar, soweit es in seiner Funktion als Münze /143/ oder Zirkulationsmittel isoliert oder verselbständigt wird. Nun findet die Verselbständigung dieser Funktion zwar nicht für die einzelnen Goldmünzen statt, obgleich sie in dem Fortzirkulieren verschlissener Goldstücke erscheint. Bloße Münze oder Zirkulationsmittel sind die Goldstücke grade nur, solang sie sich wirklich im Umlauf befinden. Was aber nicht für die einzelne Goldmünze, gilt für die vom Papiergeld ersetzbare Minimalmasse Gold. Sie haust beständig in der Zirkulationssphäre, funktioniert fortwährend als Zirkulationsmittel und existiert daher ausschließlich als Träger dieser Funktion. (Marx: Das Kapital, MEW 23, S. 142f.)
結局なぜ金がそれ自身の無価値な標章により置き換えられることができるのかという疑問に落ち着く。しかし今までに見たように金はその鋳貨または流通手段としての機能において孤立化されたり、また自立化される限りにおいて、単にそのように置き換えられることができる。ここで摩耗した金貨が依然として流通するという現象があるとしても、この機能の自立化はなるほど個々の金貨に対して起こることではない。金貨が単なる鋳貨または流通手段としてあるのは、これらが実際に流通している限りにおいてである。しかし個々の金貨に対して妥当しないことが、紙幣により置き換えられることができる最低量の金にとっては妥当することとなる。この最低金量は常時流通圏内にあり、継続して流通手段として機能し、それゆえ専らこの機能の担い手としてのみ実存することとなる。(マルクス『資本論』)
孤立化や自立化と言うのは、あるものの各種規定の中一つだけが取り出され、そのものがその規定においてのみ機能すると言うことです。具体的に言うと、金貨が摩耗しても流通手段として承認されていると言うことで、この金貨が名目的には同重量の地金との等価物であると言う規定から見ると、摩耗した金貨にはその資格がないこととなり、金属実体と言う点では敬遠されることとなります。しかし実際にはこのような実質価値が減少した金貨でも流通においては、名目上の重量を保持している流通手段として機能します。このように流通手段としての貨幣が象徴として循環しているのなら、金でなくてもよいことになります。
Die selbständige Darstellung des Tauschwerts der Ware ist hier nur flüchtiges Moment. Sofort wird sie wieder durch andre Ware ersetzt. Daher genügt auch die bloß symbolische Existenz des Geldes in einem Prozeß, der es beständig aus einer Hand in die andre entfernt. Sein funktionelles Dasein absorbiert sozusagen sein materielles. Verschwindend objektivierter Reflex der Warenpreise, funktioniert es nur noch als Zeichen seiner selbst und kann daher auch durch Zeichen ersetzt werden. Nur bedarf das Zeichen des Geldes seiner eignen objektiv gesellschaftlichen Gültigkeit, und diese erhält das Papiersymbol durch den Zwangskurs. Nur innerhalb der von den Grenzen eines Gemeinwesens umschriebnen oder innern Zirkulationssphäre gilt dieser Staatszwang, aber auch nur hier geht das Geld völlig auf in seine Funktion als Zirkulationsmittel oder Münze und kann daher im Papiergeld eine von seiner Metallsubstanz äußerlich getrennte und bloß funktionelle Existenzweise erhalten. (Marx: Das Kapital, MEW 23, S. 143)
商品の交換価値の自立的表現は、ここでは単に消え去る契機に過ぎない。それは即時に他の商品により取って代わられる。そこから貨幣を常にある人の手から他の人の手にと遠ざけて行く過程においては、貨幣の単なる象徴的実存形態で十分であることとなる。貨幣の機能的定在が、言わばその物質的定在を吸収してしまうのである。すぐに消え去るべく客観化された、全商品価格の反射として、それはただ自身の標章としてのみ機能し、そのため標章により置き換えられてもよいことになる。ただここで貨幣の標章にはその客観的社会的妥当性が必要となるため、このような紙製の象徴は強制通用力によりこの妥当性を受け取る。この国家の強制通用力による法定通貨は共同体の境界により囲われた、共同体内流通圏でのみ妥当するが、貨幣はまたそこでのみその流通手段または鋳貨としての機能を果たし、そのため紙幣としてその金属実体から外的に分離された、単なる機能的実存形態を得ることができるのである。(同上)
紙製の貨幣、すなわち紙幣は国家が保証することで、そのもの自体は金の象徴と看做されます。また商業流通圏における信用貨幣としての銀行券も、この国家保証により紙幣と同格となり、法定通貨とされます。
Ein bestimmtes relativ wertloses Ding, Stück Leder, Papierzettel usw., wird zunächst gewohnheitsmäßig Zeichen des Geldmaterials, behauptet sich jedoch nur als solches, indem sein Dasein als Symbol durch den allgemeinen Willen der Warenbesitzer garantiert wird, d.h. indem es gesetzlich konventionelles Dasein und daher Zwangskurs erhält. Staatspapiergeld mit Zwangskurs ist die vollendete Form des Wertzeichens, und die einzige Form des Papiergelds, die unmittelbar aus der metallischen Zirkulation oder der einfachen Warenzirkulation selbst herauswächst. (Marx: Zur Kritik der politischen Ökonomie, MEW 13, S. 95)
ある比較的無価値なもの、例えば皮の一片や紙切れなどは、最初は習慣的に貨幣材料の標章となり、そのうちにその象徴としての定在が商品所有者の普遍意志として保証されることにより、すなわちそれが法的に協定された定在および、またそれゆえ強制通用力により、貨幣材料の標章としてのみ通用することになる。強制通用力による国家発行紙幣は、価値標章の完成された形態であり、直接に金属貨幣流通、言い換えると単純商品流通自体から成長を遂げた紙幣の唯一の形態である。(マルクス『政治経済学批判』)
鋳貨、すなわち金属貨幣はどこでも結果的には強制通用力のある中央銀行発行紙幣に行き着きます。しかしこれは商品を売買する契約当事者間の取り決めや国家意志の貫徹などの観念性がその起源なのではありません。人間労働による価値を起源とする商品の流通過程自体から貨幣が自然発生的に生じ、その商品相互の普遍的交換過程における価値諸形態から貨幣商品が排除されて独自の機能を付与され、さらに価値の象徴としての姿態変換が達成された最終形態が紙幣と言えます。
兌換が約束される紙幣は国家や共同体の一般的流通圏内で流通手段として流通しますが、そこでは同時に商業流通圏内を見ると、さらに複雑な支払い手段としての信用貨幣、言い換えると小切手や手形、また株券などの有価証券、すなわち各種債券なども同時に流通しています。当初は区別されていた両流通圏がその中に一体となり、国境を越える資本移動の自由化が進むと、グローバル化された金融市場も拡張されて一般的な世界市場の一角を占めることとなります。国内的に銀行券や通貨となった紙幣について見ると、初めは要求があれば金と交換される兌換紙幣や銀行業者宛の手形として流通を続けますが、流通の規模が大きくなりすぎると金との実際の交換が不可能となり、金本位制は破綻し、金との兌換のない管理通貨制がとられるようになります。こうなると、国内における紙幣は本来は金の象徴として機能しているのですが、さらに国家が法定通貨としての強制通用力を持たせると、実際にも信用のみの純粋な象徴に昇華することになります。第一次世界大戦時には、大量の戦時公債の発行などのために多くの国では多かれ少なかれ金本位制が停止され、管理通貨制がとられるようになっていました。イギリスやアメリカは戦後また金本位制に復帰していましたが、1931年にイギリスが金本位制から離脱することになり、世界恐慌の起こった 1933年にはアメリカのルーズベルト大統領が国民の金保有禁止政策を打ち出して再度管理通貨制が導入され、ドルが兌換紙幣として使えなくなりました。それでも、国際的には依然としてドルを基軸通貨とする金本位制が続いていましたが、1971年に突然米国がドルと金との交換を停止すると発表しました。これがいわゆるニクソン・ショックで、以来ドルは世界貨幣として米国の資本力への信頼性のみでグローバル経済の決済手段となっています。また近年その影響力を増してきたビットコインやイーサリアムなどの
仮想通貨(暗号資産)- Kryptowährung - Cryptocurrency - Crypto-monnaie
はインターネット上の民営仮想通貨取引所を通して運用され、国家や中央銀行の信用すら担保されていません。ブロックチェーン(分散型台帳)と言うデジタル技術で価値を立証し、信用創造となります。これは一般的に
デジタル通貨 - digitale Währung - digital currency, electronic money - monnaie numérique, devise numérique
と呼ばれるもので、電子マネーと呼ばれるのに相応しいものです。さらに中央銀行が発行するデジタル通貨(CBDC)も登場しています。中国が逸早くデジタル人民元を国内各地で使えるように実験しており、その国際化も図っています。
ウクライナ侵攻と言うプーチンの飛んでもない蛮行を機に、英米とEUを中心にロシアが国際銀行間決済システムSWIFTから排除されることになりました。当初は全面排除ではありませんが、場合によりそこまで行くことも考えられます。そうするとロシアはドル決済ができなくなり、外貨準備も凍結されたため国債が暴落し、輸出入も途絶え、デフォルト(債務不履行)に繋がります。但し、ロシアがデジタル・ルーブルで中国のデジタル人民元に連携すると、経済制裁を回避することも可能になりますが。