これから二次元エンブレムを考察するにあたっての
類型化の要素は二つあります。それは文字と図形です。これらが単独で、あるいは組み合わされて意匠(デザイン)が構成されます。一般的にはフロントグリル上のエンブレムは自動車メーカーやブランドのシンボルマークで、リアに社名(ロゴタイプ)も書かれたりしますが、フロントグリル上に直接社名を書くメーカーもあります。フロント・リア共にシンボルマークであったり、また両方ともロゴタイプの場合もありますが、社名に関してはここでは原則的にフロントに付けられている、シンボルマーク代わりのロゴタイプのみを考察の対象とすることにします。
では、これらのエンブレムを順に
1 図形(簡素なデザイン)
2 図形(複雑なデザイン)
3 文字(イニシャルの図案化)
4 文字(ロゴタイプ)
5 文字と図形の結合
と言う形で見て行きましょう。図形を簡素と複雑と言う基準で分けましたが、それは抽象性の程度に応じたもので、後に見るランボルギーニの雄牛のような絵画的要素が強くて具象的なものを複雑とし、三角形や円などの幾何学的図形のようなイラスト的で抽象的なものを簡素な図案と見たからです。次に見るベンツの三芒星や後に見るキャディラックの色模様などは両区分の移行的タイプとなりますが、ここでは三芒星などを簡素な図案、キャディラックの紋章などを複雑な図案の中に含めておきました。なお以下の文章で戦後とか戦前とあるのは、第二次世界大戦を基準としたものです。
それでは、まず第一に図形のみからなるエンブレムから見て行きましょう。ただし次例のように、該当エンブレムの変遷も合わせ見る場合などは、その限りではありません。
1 図形(簡素なデザイン) 1.1
図1 メルセデス・ベンツのエンブレムの変遷 現行1 カール・ベンツ(1909) ダイムラー(1909) ダイムラー(1916) 現行2(1926以来)
最初に見たメルセデスの星は元はと言えばダイムラー社のエンブレム(上図の1909年参照)でしたが、1926年にメルセデス・ブランドのダイムラー社とベンツ社が合併して以来メルセデス・ベンツのブランド名入りと単なる星のみと二つのエンブレムが使われています。この星は、スリー・ポインテッド・スター(三芒星)、またはメルセデスの星(Mercedesstern)と呼ばれ、業界の導きの星(Leitstern)を自認する独ダイムラー社のメルセデス・ベンツ・ブランドのエンブレムとして今なお立体モデルと平面モデルの二種類があります。その三方向への光線はそれぞれ陸・海・空の運輸手段を、また円は月桂樹の冠を象徴したものです。東西冷戦に入って以来、西ベルリンの中心地に建てられたヨーロッパ・センタービルの屋上では自動車産業の代表たる、この星が回転して、豪華商品を豊富に提供する西デパート(KDW = Kaufhaus des Westens)と共に東ベルリンと周囲の東独地域に向けて西側資本主義の優位を誇示するシンボルマークとなっていました。なお日本や中国ではベンツや奔馳と言っていますが、本場のドイツではもっぱらメルツェーデスと呼ばれています。これは女性の名で、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハが創設したダイムラー・モーター社(このモーターはエンジンのこと)は創立時からシュツットガルトに本社を置いていましたが、その大手ディーラーであったユダヤ系オーストリア人のイェリネック領事の娘がこの名で呼ばれていました。初めはレーシングカーに付けられていたものでしたが、ダイムラーの硬い響きと違った、スペイン風の柔らかな異国情緒のある音感から普通に販売される乗用車のブランド名として商標登録されることになりました。後に世界初の自動車メーカーとしてカール・ベンツが設立していたマンハイムのベンツ社とこのダイムラー・モーター社が合併してダイムラー・ベンツ社となった後も、メルセデス・ベンツはブランド名として残ることになりましたが、企業の方はダイムラー・クライスラー社を経て、今では単なるダイムラー社と呼ばれています。エンブレムのメルセデスの星は、元々ダイムラー・モーター社のもので、ベンツ社のエンブレムはその社名を月桂冠で飾ったものでした。両社が合併した新社では月桂樹の枝で囲んだ星とブランド名が正式なエンブレムとなり、現在でも依然としてメルセデスの星と共に使われています。技師のカール・ベンツは1886年に世界で最初の車を発明して、マンハイムで製造・販売しましたが、なかなか売れずにいたところ、その妻のベルタ・ベンツが夫に内緒で子供を連れてマンハイムと実家のあったフォルツハイム(片道106キロ)間を往復したことが、世界初の長距離走行となりました。これは当時三輪だったベンツ自動車の絶好の宣伝となり、以後売れ行きが飛躍的に伸びることとなりました。
さてドイツではタクシーの多くがベンツで、至るところで見かけられますし、筆者も一時中古のベンツに乗っていたこともあります。その車種( 200/8 )はシフトレバーがハンドルから出ているコラムシフトで、普通のフロアシフトとは違っていたので、最初は少し戸惑いましたが、ハンドルを握っている手を少し移せばいいだけなので、慣れると使い易いものでした。この車はある時長距離を走った際に、オーバーヒートを起こしたので見てみると、冷却水かオイル切れでエンジンが焼き付いていました。修理屋に頼んだら牽引ロープで車両をつないで、ロープを弛ませないように筆者が故障車を運転することになりましたが、これがロープが伸び過ぎて切れないように細心の注意が必要で、車間距離を縮め過ぎて牽引車に追突してしまいました。また同じベンツでも最高級のSクラスとなると、フロアシフトのAT車で、筆者も一週間ほどこれを使ったことがありますが、そのスピードメーターは260km/hまでありました。アウトバーンは2021年現在でも速度無制限ですが、混んでいたり、頻繁な道路工事で、160km/h以上の高速で継続して走れるようなところはなかなか見つかりません。たまに見つけて最高速度まで出して見ましたが、最高速度まで出して見ましたが、車体が大きく快適で、揺れや振動をほとんど感じることがありませんでした。その後、メーターで240km/hまであるアウディA1やBMW118などの小型車でもかなり上限まで出してみましたが、緊張感としては大きな違いがありました。
2021年秋の総選挙の結果、緑の党が再び政権に復帰することになれば、アウトバーンの130km/hへの速度制限はほぼ確実です。自動車王国ドイツの世論もようやくその方向に傾きかけています。その時点では、このように書きましたが、その年の暮れに赤黄緑の交通信号連立政権が成立し、「自由な市民の自由なドライブ(Freie Fahrt für freie Bürger)」を掲げる黄の自由民主党の反対でその動きもまた抑え込まれています。ゴー・スローと言えば、近くのスエーデンではアウトバーンは最高でも120km/h、国道は90km/h制限ですが、青少年の間では最高時速30キロのAトラクターと呼ばれるピックアップで国道をのろのろと走るライフスタイルが徐々に広まっており、追い越す機会が来るのを待つ後続車のドライバーをイライラさせているそうです。そう言えば筆者もドイツでのことですが、マールブルクとカッセル間の100kmほどの国道は、その中の50kmほどが非常に曲がりくねっていて、直線区間が少なく、そんなところに大型トラックや日曜ドライバー(Sonntagsfahrer)がスネークヘッド(Schlangenkopf)となってその後をのろのろと走らされるのにはいつもうんざりさせられました。危険なカーブの連続が終わったと思うと、次には村落が出て来て、これまた50kmの速度制限です。一ヶ所だけ数百メートルの直線区間があって、そこに差し掛かって対向車線が空いていると、みな一斉に全速力で追い越しを掛けたものです。スエーデンでは、この種の車は15歳から乗れる原付自転車クラスの車と看做され、元はと言えばおよそ100年前に高価な車を買えない農民たちが独自に作った、激安スーパー・チェーンの名を冠した Epa Traktor とも呼ばれていた車です。とは言っても今では普通の車をチューン・ダウンして速度制限をかけたものもあり、フライデイズ・フォア・フューチャーのように他国にも広まるかも知れません。
図2 Aトラクター、リアののっぺら坊の警戒標識でそれと分かる
メルセデス・ベンツに関して、少々恥を書くことになりますが、筆者が1980年代半ばにマールブルク大学でいつ終わるとも知れない博士論文を書いていた、そんなある日のこと、真夜中も過ぎて居酒屋からの帰り道、そのあたりに止まっていたベンツの立体エンブレムをエイ、ヤーと一撃の下にはいきませんでしたが、前後左右に動かしたり、ぐるぐる回したりして捩じり取ったことがありました。その後資本主義の象徴に痛烈な一撃を与えた名誉の戦利品として学生寮の一室に飾っていたこともありますが、若気の至りとは言え、今から思うと赤面ものです。これはまた当時の革新的学生間の風潮(Zeitgeist)ともなっていたことで、少し新聞から引用してみますと、
In den Achtzigerjahren galt es in manchen Kreisen als kapitalismuskritisch, die auf dem Kühler frei stehenden Sterne abzubrechen. (SZ, Mercedes-Stern, 26.03.2021)
1980年代には一部の人々の間ではフロントグリル上に立っているメルセデスの星をもぎ取ることが資本主義批判ともて囃されていた。(『南ドイツ新聞』)
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図1 Mercedes-Benz 1, Carl Benz, Daimler 1916, Daimler, Mercedes Benz 2 (Daimler Benz)
図2 A Traktor