冒頭で述べましたように、
Fall や case と言う言葉には具体的な意味とそれから派生した抽象的な意味があります。後者の意味の「場合」や「事例」などと言うのも、まずさらに普遍的または抽象的な事柄があって、そこからこぼれ落ちてきた個別例または具体例であるというふうにも見られます。独語の unter einen Begriff fallen と言う言い方も、ある概念に包摂されると言うことで、同じような発想から出ているのでしょう。一般的に、ある一つの対象にとっては、具体的レベルと抽象的レベルがあって、そのどちらもが意識の対象となることができると言うことです。例えば手中にある一本の鉛筆は、具体的な、この鉛筆ですが、同時に色々とはあるが、これらはすべて、ある抽象的な「鉛筆」の一事例、そのある個別な場合、さらには「鉛筆」と言う概念の物質化したものであると見ることも考えられます。
フレーゲやラッセルから始まる記号論理学( symbolische Logik - symbolic logic - logique symbolique )または数理論理学( mathematische Logik - mathematical logic - logique mathématique )では、曖昧さの多い現実の言語を論理学を模範として、いわば純化することが目指されました。例えば日常言語で言う「空が青いが、雨が降っている」や「空が青いのに、雨が降っている」、「空が青くても、雨が降っている」、「空が青いけれども、雨が降っている」、「空が青いにも関わらず、雨が降っている」、「空が青い。しかし雨が降っている」など、それぞれニュアンスの違いがあります。しかし見方によっては、これらは基本的には「空が青い、そして雨が降っている」のように「空が青い」と「雨が降っている」と言う二様の原子文の組み合わせからできているとも見られます。そこでこの二つの原子文が逆説や順接の種々の言い方の基底にある事象に対応し、言説をできるだけ簡素化すると、順接だけで十分であると言うことになり、「空が青い」&「雨が降っている」に帰結できるとします。これが記号論理学の発想法で、全ての事柄をできるだけ簡単な事象、それぞれの事柄の原子形態に還元しようとするものです。
ここでそれ以外のあらゆる存在が全体的な総括をする「存在」の個別的事例であると見ると、それらは全く無ではない、幾何(いくばく)かの様相を備えた個別的存在であり、言い換えると、「存在」の様態であり、いわゆる Sosein (Wittgenstein: Tractatus 6.4.1; Heidegger, Sein und Zeit, S. 7 参照)、何かが「そうある、そのようにある」こと、相存在、相在であると言うことになります。これは、すでに述べたヘーゲルの Dasein がまず第一に何か一定の質( Qualität )として規定されたのと同じことと言えるでしょうか(『小論理学』§ 90 参照)。
ラッセルが序言を添えた、ヴィトゲンシュタイン初期の著作『論理哲学論考』( Tractatus logico-philosophicus )も、この「そうである」から始まります。
1 Die Welt ist alles, was der Fall ist.
1.1 Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dingen.
1.11 Die Welt ist durch die Tatsachen bestimmt und dadurch, daß es alle Tatsachen sind.
1.12 Denn, die Gesamtheit der Tatsachen bestimmt, was der Fall ist und auch, was alles nicht der Fall ist.
1.13 Die Tatsachen im logischen Raum sind die Welt.
1.2 Die Welt zerfällt in Tatsachen.
1.21 Eines kann der Fall sein oder nicht der Fall sein und alles übrige gleich bleiben.
2 Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.
2.01 Der Sachverhalt ist eine Verbindung von Gegenständen (Sachen, Dingen).
u.s.w. (Wittgenstein, Tractatus)
1 世界とは、そうであることの全てである。
1.1 世界は、事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11 世界は、事実により規定されており、全ての事実であることにより規定されている。
1.12 その訳は、事実の総体によって始めて、何がそうであるのか、そしてまた何が全てそうではないのかが規定されるからである。
1.13 論理空間における事実が、世界である。
1.2 世界は、各個の事実に分解される
1.21 どんなことでも、そうでありうるか、またはそうではありえないのどちらかであり、それ以外のあらゆることには変わりはない。
2 そうであること、すなわち事実とは、事象が存続することである
2.01 事象とは、対象(こと、もの)の結合である
(ヴィトゲンシュタイン『論考』)
次にオグデンとリチャーズによる底辺のない三角形、または別名の記号論三角形( semiotisches Dreieck )で世界的に有名となったオグデン( Charles Kay Ogden )による最初の英訳、それから参考としてペアーズ/マックギネスの英訳も掲げておきました。オグデンの英訳にはラムゼイ( Frank P. Ramsey )やムーア( George Edward Moore )と共にヴィトゲンシュタイン自身も関わっていたと言うことです。独語と共に両英訳を共観(シノプシス)にしたものが、こちらにあります。
1 The world is everything that is the case.
1.1 The world is the totality of facts, not of things.
1.11 The world is determined by the facts, and by these being all the facts.
1.12 For the totality of facts determines both what is the case, and also all that is not the case.
1.13 The facts in logical space are the world.
1.2 The world divides into facts.
1.21 Any one can either be the case or not be the case, and everything else remain the same.
2 What is the case, the fact, is the existence of atomic facts.
2.01 An atomic fact is a combination of objects (entities, things).
(C.K.Ogden, 1922)
1 The world is all that is the case.
1.1 The world is the totality of facts, not of things.
1.11 The world is determined by the facts, and by their being all the facts.
1.12 For the totality of facts determines what is the case, and also whatever is not the case.
1.13 The facts in logical space are the world.
1.2 The world divides into facts.
1.21 Each item can be the case or not the case while everything else remains the same.
2 What is the case—a fact—is the existence of states of affairs.
2.01 A state of affairs (a state of things) is a combination of objects (things).
(Pears/MacGuinnes, 1933)