「そうだ」や「そうである」とか「そうでない」と
言う言い方は、日本語やドイツ語では好んで使われます。
Ach so! / So so! - oh so! / I see! - oh ! / ah bon ! / ah oui ! / je vois ! - ああ、そう(ですか)
昭和天皇はどんな機会にもこう答えていたと言うことですが、近頃はそんな話も聞かれなくなりました。筆者が初めてドイツに来た頃ですが、日本の大学の学士号が認められていなかった時代のことで――ドイツで大学入学資格のアビトゥーアを取得するには、最低 13 年間学校に通う必要がありました。当時は日本の高卒は 12 年で 1 年足りなかったから、大学前期の 2 年の教養学部終了で 14 年で同等と言うのならまだ分かりますが、そうではなく、さらに学部の 2 年を足して総計 16 年でやっとアビトゥーア同等と言う、極端に不平等な扱いでした。また当時のドイツの大学は 4 年制ではなく 6 年制のいわば大学院大学のみで、修士( Magister Artium )か、ディプローム( Diplom 得業士)、または教員免許( Lehramt )が卒業資格と言うことで、そう簡単には入れてくれなかったのです。そう言うことから高卒と同等に扱われて、ドイツの大学一年生からやり直しということになってしまいました。さらにドイツ語の資格も必要とされたので、その試験を受けるための外国人用の語学コースにも顔を出していました。そこには各国からドイツの大学を志望する人たちが来ていましたが、中でもイスラエルからの留学希望者と話していると、実によく驚く若者で頻繁に Ach so, ach so!(あっ、そうなの)と言うのですが、その ch の発音が同じ無声の軟口蓋音であっても、摩擦音の [x] が閉鎖音の [k] となって、「あっくそー」と聞こえて何度も笑いを噛み殺すのに苦労した覚えがあります。
日本語の場合、「そう」と言う語は古くは「然(さ)」で、「左様」などもどちらかと言うと「然様」でしょう。下記のように対話の両者共に分かっている、一般的な状況や様態を表現する時には、それが述語となりますが、主語は日本語では省略され、欧米語ではこれまた一般的な状況を表現する仮主語が用いられることになります。
Es ist so; So ist es - It is so (, as it is) - C'est ça; Hé oui - そうだ、そのようだ、そうなのだ
この so の内容を強調すると、ドイツ語の場合は上記の例にもあるように前置となります。
So war es (auch) - Such was the case - Ce fut le cas - そうなった、そうだったのだ
第二次世界大戦後はまたアウシュヴィッツ後でもあり、反ユダヤ主義はそれから 70 年以上も経った現在でもまだ克服されていません。マックス・フリッシュが戯曲『アンドーラ』でこれをテーマとしています。
ANDRI Seit ich höre, hat man mir gesagt, ich sei anders, und ich habe geachtet drauf, ob es so ist, wie sie sagen. Und es ist so, Hochwürden: Ich bin anders. Man hat mir gesagt, wie meinesgleichen sich bewege, nämlich so und so, und ich bin vor den Spiegel getreten fast jeden Abend. Sie haben recht: Ich bewege mich so und so. Ich kann nicht anders. Und ich habe geachtet auch darauf, ob’s wahr ist, dass ich alleweil denke ans Geld, wenn die Andorraner mich beobachten und denken, jetzt denke ich ans Geld, und sie haben abermals recht: Ich denke alleweil ans Geld. Es ist so. Und ich habe kein Gemüt, ich hab’s versucht, aber vergeblich: Ich habe kein Gemüt, sondern Angst. Und man hat mir gesagt, meinesgleichen ist feig. Auch darauf habe ich geachtet. Viele sind feig, aber ich weiß es, wenn ich feig bin. Ich wollte es nicht wahrhaben, was sie mir sagten, aber es ist so. Sie haben mich mit Stiefeln getreten, und es ist so, wie sie sagen: Ich fühle nicht wie sie. Und ich habe keine Heimat. (Frisch, Andorra, S. 86)
他人(ひと)の言うことが理解できるようになって以来、僕は他の人とは違うと言うことを耳にしてきたし、みんなの言っているように、本当にそうなのかと気を付けていたのです。それで猊下、本当にそうなのです――僕は他の人とは違うのです。みんなの言うように、僕の同類がどのような挙動をするのか、ああだったり、こうだったり、と言うので、ほとんど毎晩鏡の前で見てみたのです。みんなの言っていることは本当でした――僕は、ああだったり、こうだったりの挙動をするのです。他に仕様がないのです。それからまたアンドーラ人が僕のことに注視して、今金銭のことを考えているなと思っている時は、僕はいつも金銭のことばかり考えているということが本当なのかと言うことに気を付けていました。それでこの場合もみんなの言っていることは本当でした――僕はいつも金銭のことを考えているのです。そうなのです。そして僕には情がないのです。僕は情を持てるように努めてみたのですが、だめでした――僕には情がないけれども、不安ばかりがあるのです。それから僕の同類は臆病だとも言われます。このことにも気を付けました。臆病な人は多いけれども、僕は僕が臆病な時は、自分でもよく分かります。僕はみんなの言っていることが本当だとは思いたくなかったのですが、それでもそれはそうだったのです。何人かに長靴で蹴られましたが、僕はみんなのように感じないと、みんなの言うことは、本当にそうなのです。そして僕には故郷がありません。(フリッシュ『アンドーラ』)
2018 年秋、バイエルン州選挙とヘッセン州選挙と引き続き大敗を遂げたキリスト同盟党首のメルケル首相がこれを機会に党首の座を譲ると述べました。
Die Hessen-Wahl war der Zeitpunkt, den sich Merkel wohl selbst gesetzt hatte, um die Rückzugsentscheidung zu treffen. Es war die richtige Entscheidung - und es war und ist der Versuch einer geordneten Restmacht-Stabilisierung für eine nicht zu lange Übergangszeit. Angela Merkel hatte in den vergangenen Jahren immer wieder davon geredet, dass es zu den schwierigsten Entscheidungen gehöre, den richtigen Zeitpunkt für das Aufhören zu finden. Das ist so: Anfangen ist das Schönste, Aufhören das Schwerste. Die bisherigen Kanzler der Bundesrepublik hatten diesen Zeitpunkt nicht gefunden. Schon der erste, Konrad Adenauer, fand ihn nicht. Und Helmut Kohl, unter dessen Kanzlerschaft Angela Merkel ihre ersten politischen Schritte getan hat, fand ihn auch nicht. (SZ, Heribert Prantl, 30.10.2018)
ヘッセン州選挙はメルケル首相が引退の時期決定に自ら選んだ時点と言える。それは正しい選択であったし、そう長くはならないであろう、次期政権への過渡期における残された権力の秩序付けられた安定化の試みであったし、あると言えよう。アンゲラ・メルケル首相はこの数年来引退の適正時点を見つけるのは、困難な決断の一つであると何度も述べてきた。正しくそうである。始めるのは一等素晴らしいものだが、終えるのは一等困難なものである。ドイツ連邦共和国の歴代首相もこの時点を見逃している。第一代目のコンラッド・アデナウアーも見逃した。それにアンゲラ・メルケル首相が政治生活の第一歩を踏み出した政権のヘルムート・コールもまた見逃している。(『南ドイツ新聞』ヘリベルト・プラントゥル)
引き際がなかなか見つけられないと言うような事態は、メルケル首相の前任者であるシュレーダー前首相の場合にも見られました。
Mit dem Parteivorsitz schwindet die Macht zu regieren. Bei Gerhard Schröder war es so, bei Angela Merkel wird es auch so sein. Schröder war eineinhalb Jahre nach der Abgabe des Parteivorsitzes an Franz Müntefering nicht mehr Kanzler. Merkel kennt das Risiko, sie ist es eingegangen und hat es in ihrer Rückzugserklärung benannt. (l.c.)
党首辞任と共に権力も消え失せる。ゲルハルト・シュレーダーの場合がそうであったし、アンゲラ・メルケルの場合もそうなるであろう。シュレーダーは社民党党首の座をフランツ・ミュンターフェリングに引き渡した一年半後に首相の座も明け渡している。メルケルはそのリスクを承知しているし、それに賭けたのであり、今回の党首交代の声明でもこれに言及している。(同上)