若い頃のゲーテが師と仰いだ
ヘルダーの世界観を『カント辞典』で有名なアイスラーの説明で見てみましょう。
Gott ist die höchste, ja die einzige Substanz. Die Dinge sind »modifizierte Erscheinungen göttlicher Kräfte«. Während Gott ewig ist, ist die Welt ein System vergänglicher Dinge. Die Gottheit ist die Urkraft, die sich in unendlichen Kräften auf unendliche Weisen offenbart. Die Dinge sind »Ausdrucke der göttlichen Kraft, Hervorbringungen einer der Welt einwohnenden ewigen Wirkung Gottes«. Jedes Geschöpf hat seine eigene Welt, ist eine Individualität. An sich ist die Welt ein »Reich immaterieller Kräfte, deren keine ohne Verbindung mit anderen ist«. Alle Dinge sind und leben in Gott, der Wirkungs- und Denkkraft zugleich ist. Gott offenbart sich in allem, aber in besonderer Modifikation. (Eisler, Philosophen-Lexikon, J. G Herder.)
神は最高の、そして唯一の実体である。あらゆる物は「神的威力の様態化された現象」である。神が永遠であるのに対して、世界は移ろいゆく物の体系である。神性は無限諸力の中で無限な様式で啓示される原初力である。物は「神的諸力の表現であり、世界に備わった永遠の神的効果の出来(シュッタイ)」である。どの被造物も独自の世界を持ち、個性である。本来的に世界は「非物質的諸力の国であり、そこでは他の力と何の関りをも持たない力はない」。あらゆる物は神の中にあり、そこに生き、神は実効力であると同時に思惟力である。神はあらゆる物の中に自己を啓示するが、それは特殊な様態においてである。(アイスラー『哲学者辞典』「ヘルダー」の項目)
この説明からだとスピノザの汎神論に似ているように見えます。同じくスピノザの思想に近いのはゲーテですが、その無常に対する考えは、すでに Carpe diem との関連でご紹介しましたが、ここではその作品中にある無常への言及を見て行きましょう。まず何と言ってもゲーテのライフワークである『ファウスト』第2部のフィナーレから。
Alles Vergängliche
Ist nur ein Gleichnis;
Das Unzulängliche,
Hier wird's Ereignis;
Das Unbeschreibliche,
Hier ist's getan;
Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan.
(Goethe, Faust II, Ende, Chorus mysticus)
移ろうものはみな、
たとえにすぎない。
地上で力におよばなかったことが
この天上でできごととなり、
名状しがたいものが
ここに成しとげられた。
永遠の女性が
われらを引き上げて行く。
(ゲーテ、『ファウスト』悲劇の第2部末尾、神秘の合唱、高橋健二訳)
「永遠に女性的なもの」と言ってもかまいませんが、何が女性的なのかは意見の分かれるところでしょうし、そもそもそういう問題の立て方自体がおかしいと言う人も出て来るでしょう。次にシラーと共作の『クセーニエン』から
Nichts vom Vergänglichen,
Wie's auch geschah!
Uns zu verewigen,
Sind wir ja da.
(Goethe, Zahme Xenien 1)
無常など、とんでもない
何があったとしても
我らを永遠とするために
我らはいるのだから
(ゲーテ/シラー『クセーニエン』)
これなど先に挙げた芸術家としてのゲーテの無常観の一面と通じるところがあります。その芸術が後世にもたらすものが何かについては、これまた意見の分かれるところでしょう。
Schwer ist die Kunst, vergänglich ist ihr Preis,
Dem mimen flicht die Nachwelt keine Kränze.
(Schiller, Wallenstein, Prolog)
芸術は難(かた)く、褒賞は儚(はかな)し
役者に後世は月桂冠を撚(よ)ってはくれず
(シラー『ヴァレンシュタイン』序言)
ロマン主義者でシェークスピアを独訳したティークの作品から。
So schwinden Tage, Monden, Jahre schnell.
Vergänglichkeit, du plünderst unser Leben.
(Tieck, Kaiser Octavianus, S. 395)
このように日が、月が、年が、素早く過ぎ去る
無常よ、お前は我らの生を略奪しているのだぞ。
(ティーク『皇帝オクタヴィアヌス』)
20世紀を前にしたウィーンには世紀末感が漂っていました。新ロマン主義のホーフマンスタールももちろんその中に浸っていた一人でした。次の詩は高校などの教材にもよく採り上げられているものです。
Über Vergänglichkeit
Noch spür ich ihren Atem auf den Wangen:
Wie kann das sein, daß diese nahen Tage
Fort sind, für immer fort, und ganz vergangen?
Dies ist ein Ding, das keiner voll aussinnt,
Und viel zu grauenvoll, als daß man klage:
Daß alles gleitet und vorüberrinnt.
Und daß mein eignes Ich, durch nichts gehemmt,
Herüberglitt aus einem kleinen Kind
Mir wie ein Hund unheimlich stumm und fremd.
Dann: daß ich auch vor hundert Jahren war
Und meine Ahnen, die im Totenhemd,
Mit mir verwandt sind wie mein eignes Haar,
So eins mit mir als wie mein eignes Haar.
(Hofmannsthal, Gedichte. Terzinen über Vergänglichkeit I)
無常と言うこと
まだ彼女の吐息を頬に感じる
いかにして、この身近な日々が
過ぎ去ったのか、永遠に、そして消え去ったのか
それは誰であろうとも考え尽くすことのないもの
それにおぞましすぎるもの
あらゆるものが皆、流れ、過ぎ行くと嘆くには
私自身の自我も、妨げるものなく、
幼ない稚児の私から、離れて行った
犬のように、不気味に音なく素知らぬ振りしてと嘆くには
それから――私もまた百年前に存在したのにと嘆くには
そして私の先祖たちが、死装束の先祖たちが
私に繋がっている、私自身の髪の毛のように
私と一体に、まるで私自身の髪の毛のように
(ホーフマンスタール『詩集』「無常についての三韻詩」I )