先に世界苦に関連して「もののあはれ」を論じました。
もののあはれは本居宣長に言わせると仏教や儒教の勧善懲悪*3 などに毒されていない、日本古来からの感情の表出と言うことになります。「もののあはれ」とよく混同される「無常感・無常観」の形成には、宗教的な諦観*2 や厭世観*3 が大きな影響を与えています。こちらの方は、「もののあはれ」よりもはるかに一般的で世界的に普及している概念と言えるでしょう。そのため無常感の訳語としては、様々な言葉が充てられますが、
Gefühl der Vergänglichkeit / Unbeständigkeit / Vergeblichkeit / Nichtigkeit / Flüchtigkeit / Eitelkeit - perception / sense / feeling of the transience / impermanence / evanescence / ephemerality / caducity / uncertainty / instability / vanity of life / fleeting / passing / transitory / transient / ephemeral / perishable / vain / fugacious / frail / mutable - sensation du caractère éphémère / périssable / impermanent / évanescent / fugace / passager / transitoire etc.
太字だけでも十分に伝わるでしょう。また無常観となると、上記の Gefühl etc. のところが Anschauung, Auffassung / view / concept, conception などと変わります。
日本では仏教が伝わって以来、前稿で述べたように無常を彷彿とさせる西行の和歌などが有名ですし、また『源氏物語』にも随所に無常観が窺えますが、特に「諸行無常」は『平家物語』の冒頭*4にも引用され――
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理(ことわり)をあらわす
――全編を貫く思想として纏められています。本来の諸行無常はヘラクレイトスの万物流転と同じように価値観を含んではいなかった*5 と言われていますが、ここに日本的無常として諦観の色が濃く表れることとなりました。これがその後の絶え間ない戦乱や度重なる天災、
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*1 此物語(源氏物語)の本意を、勧善懲悪といひ、殊には好色のいましめ也といふは、いみしきしひ ごと也、つくりぬしの意、さらにさることにあらず、本居宣長(『源氏物語玉の小櫛』2の巻P. 222)
*2 Resignation - resignation - résignation
*3 pessimistische Lebens- oder Weltanschauung - pessimistic view of life or world - vision / conviction pessimiste de la vie ou du monde
*4 The sound of the Gion shōja bells echoes the impermanence of all things; the color of the sōlaflowers reveals the truth that the prosperous must decline. The proud do not endure, they are like a dream on a spring night; the mighty fall at last, they are as dust before the wind. (McCullough 1988)
*5 仏教では「四法印」として悟りへの境地が1 一切皆苦、2 諸行無常、3 諸法無我、4 涅槃寂静の4段階に分けられています。
そこから広まった末法思想も背景として、鴨長明『方丈記』や吉田兼好『徒然草』*6 などと共に日本的無常観の形成に大きな役割を果たすこととなりました。
次は『方丈記』*7 の冒頭から。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。【…】
その、あるじと住みかと無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つことなし。
また能楽にも無常を主題としたものが多く見られます。能の原形と言われる幸若舞に『敦盛』*8 がありますが、織田信長に好まれたと言うことで有名な作品です。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間(ジンカン)五十年、化天(ゲテン)のうちを比ぶれ ば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
なお無常の要(かなめ)となる「儚(はかな)い」の訳語としては、独英仏語では、
ephemer - ephemeral - éphémère
がピッタリでしょう。ウスバカゲロウを始めとするカゲロウ(蜻蛉・蜉蝣)*9 は、日本ではその弱々しく儚げな姿が、夏の暑い日にゆらゆらと立ち昇る陽炎(かげろう)を思わせるところから来た命名かも知れませんが、成虫となってからも実際に数時間から一週間程度しか生きないと言うことです。そこから独英仏語では学名の ephemeroptera ( ephemera はギリシャ語の εφημερα “その日一日” と πτερον “翅・羽”)が省略して使われたり、訳語の
Eintagsfliege, Ephemeride - dayfly, mayfly, nine-days wonder, ephemera - éphémère
なども使われます。そう言えば日本にも
なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし
と記された『蜻蛉日記』*10 という作品もありましたね。この蜻蛉や陽炎と書いた場合のカゲロウははかない生の無常の象徴となりますが、同じカゲロウでも蜉蝣と書いた場合のカゲロウはその正反対を表します。これについてはすでにご紹介しました。
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*6 吉田兼好の心性は、既に見てきたようにもののあはれが主となっています。
*7 鴨長明『方丈記』 ヘラクレイトスの「同じ川を二度わたることはない」が彷彿とされます。現代語 訳 流れている川の水は尽きることがないし、同じ水が流れることもない。淀みに浮かんでいる泡は、できたり、消えたりして、同じものが留まることはない。この世の人も住まいもまたこのようなもので ある。【…】この人と住まいが無常を競っているのは、アサガオに結ぶ露と変わるところはない。露が落ちて花が残っても、朝日を浴びて枯れて行く。花がしぼんで露が残っても、夕方まで残ることはない。
*8 ウィキペディア『敦盛』 現代語訳 考えてみれば、この世はいつまでも生きていられるところではない。草の葉についた露、水面に映る月よりもさらにはかないものである。栄華の金谷園に花を詠む者も、華麗な花は無常の風に散り、南楼の月に興じる者も月より先に来る有為転変の雲に被われて姿を消す。人の世の五十年の歳月は、下天の一日にしかならず、まるで夢や幻のようなものである。この世に生を受けて滅びない者などあろうか。これが仏陀の悟りだと分からないのは、実に残念なことである。
*9 厳密に言うとウスバカゲロウはカゲロウ目ではありませんが、近縁のアミメカゲロウ目に属します。
*10 藤原道綱母『蜻蛉日記』