さて
「人の情(ココロ)の感ずること、戀にまさるはなし」*1と述べる本居宣長は、『源氏物語』の真価はもののあはれにあり、これはまさに全編を通じて描きだされる恋愛の諸相において表されていると述べています。
かくて此物語は、よの中の物のあはれのかぎりを、書あつめて、よむ人を、深く感ぜしめむと作れる物なるに、此戀のすぢならでは、人の情の、さま\”/とこまかなる有さま、物のあはれのすぐれて深きところの味(ヒ)は、あらはしがたき故に、殊に此すぢを、むねと多く物して、戀する人の、さま\”/につけて、なすわざ思ふ心の、とり\”/にあはれなる趣を、いとも\/こまやかに、かきあらはして、もののあのはれをつくして見せたり。*2
『源氏物語』や『伊勢物語』で主人公となっている光源氏や在原業平は、日本では稀代のプレイボーイとして知られていますが、西洋でのドン・ファンやカザノヴァに勝るとも劣らないほどの女性遍歴でその一生を過ごします。ドン・ファンはスペインの伝承で真偽のほどは定かではありませんが、モリエールのドン・ジュアン*3やモーツァルトのドン・ジョヴァンニ*4のように数々の女性を弄んだ挙句に石像により地獄に落とされても、それは致し方_______________________________________
*1 本居宣長『源氏物語玉の小櫛』2の巻、p. 215)。同節で言及されているように、宣長は藤原俊成の戀せずば 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞ知る(『長秋詠藻』) (通釈 恋愛を経験しない人には心の深いところは分からない。もののあはれをそこで知ることになる のだから)から、多くの和歌や『伊勢物語』・『源氏物語』など古来の日本文化を貫くものが「もののあはれ」に他ならないと言う着想を得たと言うことです。本居宣長『紫文要領』も参照。また『源氏物語』に恋愛に関する話が多いのは、「物のあはれをむねと書けるものにて、そのあはれのふかきこと、 戀にまさるはなきが故に、そのすぢを、殊に多くむねとは書かるもの也」としています(『玉の小櫛』p. 228)。現代語訳『源氏物語』は、もののあはれを主として書いたものだから、しみじみとしたもののあは れを感じる点においては恋愛に勝るものがないところから、そこでは恋愛に関するエピソー ドを多く取り上げているのである。
*2 『玉の小櫛』同上。現代語訳 このようにしてこの物語は、世情に見るもののあはれを集めて書き、読者を感動させようとして創られたものであり、この恋愛を主としたものでなくては、人情の様々に複雑な様相やもののあはれの極めて深い味わいが表現できないため、この系統のものを多く書き、恋をして いる人の色々とあることに関してすることや思うところの種々に情感を催す委細を細心に書き綴ってもののあはれの多様な形態を呈示したものである。 また、「然れどもそのうへにも、なほつゝしみあへ給はぬかたも有て、此後もなほ朧月夜君には、たえずしのび\”/に逢給へり、そこの文にいはく、いとあるまじきことと、いみしくおぼしかへすにも、かなはざりけりとあり、戀の情は、かくぞありける。」『玉の小櫛』p. 220. 現代語訳 しかしそ れでも続けないでおくことができない人もいて、この後も朧月夜君のところへは何度も通い、これを描写した個所に「あってはいけないことなのにと、深く反省するが、どうにもできるものではなかった」と書かれているように、恋愛の熱情はこのようなものなのである。
*3 Molière: Don Juan (Dom Juan ou le Festin de pierre).
*4 Mozart: Il dissoluto punito ossia Il Don Giovanni (‚Der bestrafte Wüstling oder Don Giovanni‘) KV 527. 台本は
ロレンツォ・ダ・ポンテ(Lorenzo da Ponte)。
ない*5ことと言えましょう。これと違って、歴史に実在したカザノヴァ*6はそのような相手を選ばない、単なる女たらしではありませんでした。その『回想録』*7を見れば分かるように、相手の女性との交情を主としているところを見ると、そこには業平や光源氏と一脈通じるところがあります。
Dass Gutes und Böses im moralischen wie körperlichen Sinne auseinander hervorgehen, führt Casanova seinen Lesern mit Vorliebe in den Schilderungen der Liebesabenteuer vor Augen. Dabei erscheint Casanova nicht als der abgebrühte, emotionslose, triebgesteuerte Frauenheld, sondern als ein origineller Denker, einfühlsamer Freund, sexueller Revolutionär, vielleicht sogar früher Feminist, dem die Frauen genau deshalb erliegen. Und doch überwiegt auch hier der Freiheitsdrang des selbstbestimmten Mannes: „Ich habe die Frauen bis zum Wahnsinn geliebt, aber ich habe ihnen stets meine Freiheit vorgezogen.“ Bei einer Frau hält es Casanova nicht lange, 116 kann man in den Memoiren zählen. In Wirklichkeit waren es vermutlich mehr. *8
善と悪とが道徳的意味においても身体的意味においても分離してしまうことをカザノヴァは好んでそのロマンスの描写において読者に見せてくれる。その際カザノヴァはすれっからしの、感情希薄でただ性欲に駆られるのみの放蕩者などではなく、独創的思想家、思いやり深い友人、セックス革命家、また女性がまさにそのことにより心を奪われることとなる、初期のフェミニストとして登場する。またここでも自律した人間カザノヴァの自由への衝動が大きく見られる――「私は女性たちを気が触れるまでに愛したが、私の自由を常に女性に優先させた」。と言うところから一人の女性のところにカザノヴァが長くいたことはなく、『回想録』には116人が数えられている。が、実際にはもっと多くいたのであろう。
カザノヴァや業平、紫式部の創作になる光源氏に共通しているところは、古代ギリシャの相手を選ばないディオニソス的*9な乱交*10の肉欲に耽るセックスではなく、相手の女性を尊重した性愛にあり、またその一過性の刹那的なところにもののあはれが成立することになります。
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*5 こんなことを言っていると本居宣長が戒めている勧善懲悪の推奨のようになってしまいますが、ドン・ファンの場合、特にモリエールなどの場合は、カトリック教会の不合理な抑圧に反抗した自由思想家 と言う視点から捉えることも考えられます。また現今の日本の若い人なら、ドン・ファンと聞いても「紀州のドン・ファン」のようにマスコミが作り出した「金持ちジジイ」ぐらいにしか思わないかも知れませんが。
*6 カザノヴァの自伝を始めとするその著書は良質の歴史文献ともなるため、カザノヴァ個人とその時代の研究を専門とするカザノヴァ学( Casanovistik - Casanovistics - Casanovistique )と言う学術分野ができているくらいです。カザノヴァの人格は、ルネッサンス期に開花した人間賛歌の傾向と人間に固有の価値と自由を見出す思潮が啓蒙期を経てカザノヴァ個人において体現されたものであるする見方には、かなりの妥当性があると言ってよいでしょう。「彼の人間像は、過去現在を通じて、最も注目すべき一つの典型、『解放の途上にある』人間の、ある特殊な条件のもとに示された裸のすがた、しかも、極めて逞しい、魅力に富む裸のすがたなのである(岸田國士『人間カザノヴァの輪郭』)。
*7 Les Mémoires de J. Casanova de Seingalt, écrits par lui-même. Paris 1825-1829.
*8 Leidenschaft der Freiheit: Giacomo Casanova: Wenn die Liebe im Spiel ist (1–6). Bayern 2, 22.08.2017.
*9 dionysisch - Dionysian - dionysiaque
*10 Orgie, Bacchanal, Saturnalien - orgy, bacchanal, Saturnalia - orgie, bacchanale, Saturnale これらは、性的な乱交の場合だけではなく、広く無礼講の乱痴気騒ぎと言う意味でも使われます。もっともそのような場合でも、性的要素が欠落するというようなことはないでしょうが。