双子都市は川や国境を挟んで
両側に都市が発展する場合が多く、その良い例はハンガリーの首都ブダペスト( Budapest )でしょう。
Budapest
ドナウ河の右岸のブダとオーブダ、さらに左岸のペシュトが合併してブダペシュトとなったのは1873年のことでした。現在の都市圏で約330万人を擁し、人口ではベルリンとほぼ同規模のブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つに数えられ、世界遺産ともなっています。ただし合併がなされたため今では正確な双子都市とは言えなくなってしまいましたが。
Ascona / Locarno
スイス南部のイタリア語圏に南北に細長いマッジョーレ湖(伊 Lago Maggiore 独 Langensee 英 Lake Maggiore 仏 Lac Majeur )がありますが、その北岸にあるアスコナとロカルノは両市共に有名な避暑・観光地で、マッジャ川( Maggia )を挟んだ双子都市です。風光明媚なロカルノは1925年のロカルノ条約でその名を聞いた方もあるかと思いますが、既出の夏に開かれるロカルノ映画祭でも有名です。片やアスコナでは夏のジャズ・フェスティヴァルに人気がありますし、現代美術館にはロシア出身で20世紀初頭からミュンヒェンで絵画を描き、ドイツの表現主義に大きな影響を与えた後、第一次世界大戦の勃発に際してスイスに移住を余儀なくされ、最終的にはアスコナで余生を送ったマリアンネ・フォン・ヴェレフキン( Marianne von Werefkin )の作品が多く展示されています。
下にアスコナの街のグラビア宣伝冊子の表紙を掲げますが、観光地でもあるため英独仏伊の4ヶ国語で書かれているのが見て取れるでしょう。後の2枚の写真は国境を越えたイタリアのマッジョーレ湖畔からアスコナを望んだもので、ロカルノはアスコナの後ろに隠れていて見えません。右の夜景は、左の昼間の景観を50%ほどズームアップしたものですが、中ほどの山腹にケーブルカーやロープウェイの駅の灯が見えています(写真は全て© 2016 by DeepStSky )。
Ascona, Werbebroschüre
View of Ascona from Cannobio, Italiy 1
View of Ascona from Cannobio, Italy 2
ヴェレフキンはミュンヒェン時代には芸術家サロンの中心人物として活躍し、フランス人( Die Französin )と呼ばれていました。前衛画家グループの『青騎士』( Der Blaue Reiter )のフランツ・マルク( Franz Marc )やアウグスト・マッケ( August Macke )などと似た初期表現主義の特徴的な画風が見られます。当時のヨーロッパでは日本の浮世絵のシンプルな構成が見直され、ゴッホを始めとしてジャポニズムが一世を風靡していました。アスコナでの展示品の中にもジャポニズムの作品が何篇か見られ、その中の一つ『秋(学校)』( Herbst (Schule), 1907写真上)には浮世絵の広重の影響が見てとられ、『ダンサー、ザハロフ』(Der Tänzer Sacharoff, 1909写真左)は歌舞伎の隈取をしており、また『勝者』( Der Sieger, 1930 写真右)に描かれたおどろおどろしい怪獣たちは、歌川国芳の影響だということです(写真は全て© 2016 by DeepStSky )。
Marianne von Werefkin, Herbst (Schule), 1907
Marianne von Werefkin, Der Tänzer Sacharoff, 1909
Marianne von Werefkin, Der Sieger 1930
話のついでに述べますと、アスコナはゼネラルモーターズのドイツ子会社オペルから発売された車種の名にもなっており、70年代から80年代にかけてA・B・Cの3ジェネレーションに渡って生産されました。筆者もレッドメタリックのアスコナBに乗っていたこともありますが、多分に運転しやすい車でした。
Kontanz / Kreuzlingen
同じくスイスの北側は、ボーデン湖(独 Bodensee 英 Lake Constance 仏 lac de Constance )がドイツとの自然の国境になっています。ドイツ側の風致に優れた都市コンスタンツから南に向かって国境を越えるとスイスのクロイツリンゲンになりますが、これらも国境を挟んだ双子都市です。コンスタンツには大聖堂が聳え立ち、中世末期には世俗・宗教を問わず当時の欧州の支配者を一同に集め、ボヘミアの宗教改革者ヤン・フスを約束を破って捕らえ、火刑に処したコンスタンツ公会議が開かれたことで有名です。その港にはペーター・レンク( Peter Lenk )制作のインペリア( Imperia )が常時自転を続けていますが、これは高さ 9m の何とも淫らな感じのする女性像で、レンクに言わせると権力を詐称するペテン師を表現したもので、両手の上にいるのが国王やローマ法王かということは見る人の歴史の教養によると言うことですが、市民にはあまり評判がいいとは言えません。街中には他にも多くのレンクの彫像が見られますが、いずれも筆者にとってはエロ・グロ・ナンセンスな下品な作品ばかりで、ゴットフリート・ベンの初期の詩作を思い起こさせるようなものです。市がどうしてこうも趣味の悪い作品群(独 Kitsch 英kitsch 仏kitsch )を注文したのか、大いに理解に苦しむところです。一般的にスイスは物価が異常に高く、上記のアスコナではドイツで 8 ユーロのピザが 30 フラン(約 30 ユーロ)もしていました。ツューリッヒなどはよく世界一物価の高い都市に選ばれています。そんなところから国境を越えて買い物に来るスイス住民が後を絶たず、コンスタンツの街は常に賑わっています(国境は普通フリーパスで、検問などはほとんどありません)。
Ulm / Neu-Ulm
ドイツ南部シュツッツガルトから南西の方向に山を登ると州境の都市ウルムに出ます。ドナウ河を挟んだバイエルン州の対岸にあるのが双子都市のノイウルムです。と言っても、もともとは帝国自由都市のウルムしかなかったのですが、ナポレオン戦争の結果ウルムがバイエルン選帝侯領となり、数年後に今度はヴュルテンベルク王国領にされたため、ウルムに集まったバイエルン人たちが対岸に移りノイウルムを作ることになったものです。ウルムのゴチック大聖堂は世界一の高さの尖塔(約161m)を誇り、ドイツの新教教会としては最大の教会です。ウルム市の憲法もドイツの都市憲法では最古のものと言われています。
Strasbourg / Kehl
ドイツの南部をライン河が北上していますが、その右岸はバーデン=ビュルテンベルク州で左岸がフランスのアルザス( Alsace 独エルザス Elsass )地方ですが、フランス国境を越えてドイツに入ると左岸がラインラント=ファルツ州となります。アルザス地方のストラスブール(独 Straßburg )のライン河を挟んだ真向かいはドイツのケールです。規模はかなり違いますが、それでも双子都市です。ストラスブールはカトリックの大聖堂を中心にショッピングが楽しめる瀟洒な街で、ドイツ語もある程度通じます。中世には神聖ローマ帝国自由都市で教会権力に抵抗していましたが、後フランス領となりました。街中のいわゆるプロイセン地区などには普仏戦争後のドイツ領であった頃に建てられた建物が多くあり、厳しそうな官庁街であった名残が見られます。現在の中央駅やライン宮殿などもこの時代の建築物です。これに反してアルザス地方の伝統家屋が立ち並んだプチット・フランス地区は世界遺産となっています。ライン河の支流イル川(仏 l'ill m., 独 die Ill エルザスのエルの語源だとも言われている)の畔に聳え立つ現代建築は欧州議会で、ルクセンブルクと交互にEU(欧州連合)の議会が開かれ、その隣には欧州評議会や欧州人権裁判所などもあります。
Konstanz, Münster
Konstanz, Imperia
Strasbourg, Cathédrale de Notre Dame
a) Konstanz, Münster b) Imperia c) Strasbourg, Cathédrale de Notre Dame (all rights reserved by © DeepStSky)
Mannheim / Ludwigshafen
世界で最も有名なドイツの観光地と言えばハイデルベルクですが、その北西にファルツ選帝侯宮殿のあるマンハイムがあります。そのライン河を挟んだ向こう岸はルードヴィッヒスハーフェンであり、マンハイムと共に2州を跨いだ双子都市となっています。マンハイムの中心部は、近世初期にフランス軍とのファルツ継承戦争で荒廃した旧市街を、バロック宮殿を底辺とする馬蹄形の中に道路網を格子状に敷設して再建したもので、絶対主義を象徴する意図の計画都市であると言われています。ルードヴィッヒスハーフェンの方には、両方の都市に君臨するドイツ化学大手BASFの本社が置かれています。工業ばかりが目立つような街ですが、毎日曜日に放映される人気番組 Tatort (犯行現場)の一舞台ともなっていて、この三十年近くもレスビアン女優のウルリケ・フォルカート( Ulrike Folkerts )が女刑事を演じ続けています。
Sankt Goarshausen / Sankt Goar
ライン河を北に向かってさらに下るとマインツあたりで西に90度旋回し、渓谷の中を通って行きますが、ここを観光船で航行するのが有名なライン下り( Rheinlauf [ラインの流れ])で、あたり一帯の古城とワイン畑の入れ替わる景観は世界文化遺産に指定されています。日本の旅行者にはよく知られているワインの町リューデスハイム( Rüdesheim )を通り、ハインリッヒ・ハイネの詩で名高い、航行の難所ローレライ( Lorelei )を過ぎると直ぐにある町がザンクト・ゴアースハウゼンで、その対岸の双子都市がザンクト・ゴアーです。どちらも人口が二千人前後で日本で言うなら村か、せいぜいのところ町ですが、ヨーロッパでは 1860 年ロンドンで市設立に関する会議があり、2000 人以上を市とすると決められました。ドイツでは原則として人口 5 万人以上の市では、単なる市長( Bürgermeister(in) )などではなく、もっと偉そうな上級市長( Oberbürgermeister(in) )と呼ぶことになっています。そのような場合は、助役が Bürgermeister(in) になります。ちなみに日本では 5 万人以上が市の要件です。
Minneapolis / Saint-Paul
アメリカ合衆国にはその名も Twin Cities と呼ばれる2都市があります。中西部北にあるミネソタ州のミネアポリスとセントポールがそれで、このミシシッピー河畔の両地方都市はおよそ330万人が居住するアメリカでは第6位の人口密集地となっています。
Kansas City / Kansas City
またミズーリー州とカンザス州の州境を跨いでカンザスシティ( Kansas City )があります。これも双子都市ですが、普通の双子都市が二卵性とすると、同名ですから一卵性とでも言えましょうか。約200万人のセントルイス都市圏に次ぐ中西部の集積地です。カンザス州のカンザスシティ近郊にあるカンザス大学博物館には、リトル・ビッグホーンの戦いで唯一生き残った米軍第7騎兵隊の軍馬コマンチ号( Comanche )の剥製が展示してあることは、既に述べました。
その他
上記がアメリカでは代表的な双子都市ですが、よく考えてみればニューヨーク・シティとジャージーシティ、セントルイスとイーストセントルイス、ボストンとケンブリッジなど双子都市に近い例は幾らでもありますが、これらの場合はさらに多くの都市が隣接しているため、双子というよりも三つ子から六つ子などになってしまうため、わざわざ双子都市とは言わないのでしょう。ニューヨークからハドソン川( Hudson River )を越えるとニュー・ジャージー州に入りますが、ジャージーシティ以外にもホーボークン( hoboken )やユニオンシティ( union city )など多くの小都市や村落が散在しており、川を越えるだけでよいため、物価も低くニューヨークへの絶好の通勤圏となっています。シルヴェスター・スタローンがニュー・ジャージー州郡部の警官を演じ、そこに住むニューヨークの悪徳警官たちを懲らしめる映画『コップランド( Cop Land )』を見られた方には、この間の事情がよく分かることと思われます。またセントルイスからミシシッピー河を越えるとイーストセントルイスですが、そこはセントルイス住民には no-go area となっていることも既に述べてあります。
Manhattan, View from Jersey City, Empire States Building 2016
View of New York from Jersey City 1 (© DeepStSky)
Manhattan, View from Jersey City, One World Trade Center 2016
View of New York from Jersey City 2 (© DeepStSky)
View from St. Louis over the Mississippi overlooking East St. Louis
South St. Louis from St. Louis (© DeepStSky)
上と中の写真はニューヨークのマンハッタンをジャージーシティから望んだものですが、中の写真の左端に写っているビルにホテルやレストランが入っていて、上の写真はそのレストランから撮ったものです。ハドソン川の向こうにエンパイヤー・ステート・ビルディング(左 Empire States Building )や新ワールド・トレード・センター(中 World Trade Center )が一望に見渡せます。このハドソン川に大きな旅客機が浮いている写真が 2009 年に新聞雑誌を賑わしましたが、これはすぐニューヨークの北側にあるケネディ空港を飛び立った機のエンジンに折悪しくその辺を飛んでいた数羽の雁が巻き込まれ、両エンジンとも完全に停止したために、機長が咄嗟に川に不時着させたもので、負傷者ゼロのこの事故は以来「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、最近映画化もされました。下の写真はセントルイスのアーチの下から撮ったもので、ミシシッピー河の対岸がイースト・セントルイスです。高さおよそ 200 m あるアーチが川面(かわも)にその大きな影を投じています。
Kinshasa / Brazzaville
世界には二国の首都同士が川を挟んで一大経済圏を形成しているところがあります。コンゴ川の双子都市キンシャサ(コンゴ民主共和国)とブラザヴィル(コンゴ共和国)がそれです。キンシャサは今では人口900万人を擁する大都市で、以前はレオポルドヴィルと呼ばれていました。1974年にモハメッド・アリがヘビー級世界選手権保持者ジョージ・フォアマンを倒した「キンシャサの奇跡」で一躍世界にその名が広まりました。対岸のブラザヴィルも首都ですが、キンシャサの10分の1の大きさもありません。
岡山/倉敷
日本に眼を向けてみると、旧城下町の岡山市と隣接する旧天領の倉敷市も境界の定かではない双子都市のように見え、美観地区で名高い倉敷に住んで、県庁所在地の岡山に通勤・通学する人も多数います。しかし両市住民の仲はあまり良いとは言えず、昭和の末期に一度合併問題が破綻しています。
北上/花巻
岩手県の両市とも戦後に市制が敷かれ、次第に周囲の町村を合併して今日に至り、今では双子都市の様相を呈しています。
福岡/博多
日本初の商人による自治都市として中世から栄えた街に博多がありますが、江戸時代になって那珂川の対岸に移って来た大名がそこに城下町を作り福岡と名付け、双子都市が誕生しました。明治になってお上の権力で両都市を合併し、侍サイドの福岡市としたため、博多は都市名としては消滅してしまいましたが、今でも駅や地区の名として残っています。
舞鶴(東舞鶴/西舞鶴)
第2次大戦中に軍が一括管理するために両都市を合併させて舞鶴としたものですが、旧城下町の西舞鶴と軍港の東舞鶴の住民感情には大きな違いがあり、戦後に市議会で分裂を決定したのですが、京都府議会から否決されてしまい、今に至っています。
静岡(静岡/清水)
両市は2003年に合併、というよりは清水が静岡に吸収されて消滅してしまいました。