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La source d'Ingres,  Paris  ©DeepStSky 

0035 Der Zweck heiligt die Mittel 目的のためには手段を選ばず

2016/04/13 投稿

 The end justifies the means / la fin justifie les moyens.

「目的のためには手段を選ばず」、「目的は手段を正当化する」またはマキャヴェリズムとは、16世紀初頭のフィレンツェ共和国で、

 その著書『君主論』により権謀術数を必要とする現実的政治を論じたニッコロ・マキャヴェッリに由来する言葉です。しかし彼が実際にこう言ったというわけではなく、また実際その目的実現のためには手段を選ばなかったナポレオンに帰する説もありま す。おそらくは、日本にも宣教に来たフランシスコ・ザビエルも所属したイエズス会のモットーだとも言われているところから、ヘルマン・ブーゼンバウム神父 の『道徳神学(1652)』中の "...wenn der Zweck erlaubt ist, (sind) auch die Mittel erlaubt" (目的が許されるならば、手段も許される)が出所という見解が妥当のようです。

 ベアーテ・クラールスフェルトさんは、 1968 年に戦前ナチのプロパガンダを担当していたキージンガー首相に平手打ちを食らわせたことで、ドイツでは比較的有名な女性です。夫と共に元ナチ狩りにその一 生を捧げ、パリのゲシュタポ司令官をしていて、戦後フランスで無期懲役を宣告されたのに、西ドイツが憲法を楯にして引渡しを拒んだクルト・リシュカをフラ ンスに誘拐しようと企てました。リシュカは、一度外国で起訴された者は、西ドイツでは同じ犯罪では再び起訴できないという、一時不再理の原理を誤魔化した ような法律に守られて、西ドイツでのうのうと暮らしていたからです。

        Die Entführung scheiterte, aber die Klarsfelds erreichten, dass das Gesetz, das Lischka und andere Naziverbrecher schützte, geändert wurde und Lischka der Prozess gemacht werden konnte. Er bekam zehn Jahre Haft und kam bereits nach fünf Jahren aus gesundheitlichen Gründen frei. [...] / Der Zweck heiligte einfach die Mittel, nicht nur in Deutschland, sondern in Frankreich, Lateinamerika, Syrien. [...] Sie bekamen Morddrohungen und Bomben per Post. Sie hatten Angst, machten aber weiter. So schreibt man an der Geschichte mit. (SZ, Tim Neshitov, 9.11.2015)

        誘拐は失敗に終わりましたが、クラールスフェルト夫妻はリシュカやその他のナチ戦犯を保護していた法律の改正に成功し、リシュカは裁判にかけられ、10 年の判決を言い渡されました。もっとも 5 年後には、健康上の理由から釈放されましたが。クラールスフェルト夫妻にとって(ナチ戦犯を裁判にかけるという)目的のためにはどんな手段であるかは意に せずであり、ドイツ国内だけではなく、フランス、南米、シリアといたるところで元ナチを追求しました。自宅には殺害の脅迫状や手紙爆弾が舞い込みました。 二人とも不安に苛まれましたが、挫けずに続けたのです。このように誰もが歴史の一齣になれるのです。(『南ドイツ新聞』ティム・ネシートフ)

 ク ラールスフェルト夫妻は移り変わる現実との妥協を拒否してナチの戦争犯罪人を徹底的に追及しましたが、民主主義の政治の世界では、妥協ということは日常茶 番事となります。日常政治での妥協なくしては信奉する理念を達成することなど、永遠に不可能となります。しかしいくら妥協すると言っても、やはり、その質 も問題とされます。

        Dass die kostspielige Ausrichtung großer Sport-Events umstritten ist - zumal in Zeiten von andauernden Manipulations- und Korruptions-Nachrichten -, hat im November auch die Abstimmung im Düsseldorfer Stadtrat gezeigt. Mit 40:39 Stimmen entschied sich Nordrhein-Westfalens Hauptstadt gewissermaßen in einem Foto-Finish für die Bewerbung um den Tour-Start. Die SPD als stärkste Kraft im Rathaus muss damit leben, dass ihr der Erfolg nur mit Hilfe eines kleinen rechten Lagers aus AfD und Republikanern gelang. Oberbürgermeister Thomas Geisel ist trotzdem beseelt vom Gedanken, "Düsseldorf in der ganzen Welt als sympathische Stadt für Sportler und Radfahrer" zu promoten. Der Zweck heiligt die Mittel. (SZ, Ulrich Hartmann, 23.12.2015)

        次々と発覚する疑惑や腐敗のニュースが後を絶たない中で、巨額な費用のかかるスポーツイベントの誘致が圧倒的な支持を得るものではないことが、9月の デュッセルドルフ市議会の投票でも明らかとなった。ノルトライン・ヴェストファーレン州首都の同市議会では、いわば決勝の 写真判定とも言うべき40対39の僅差でツール・ドゥ・フランス2017のプロローグ誘致が可決された。市議会の最大会派である社民党(SPD)が採決に 勝てたのは、右翼会派の「ドイツの選択肢」党(AfD)と共和党の助けを借りたからである。トーマス・ガイゼル市長はそれでも「デュッセルドルフをスポー ツやサイクリング愛好家にとって好ましい街」として世界に発信できると浮かれ気味である。まさに目的のためには手段を選ばずと言える。(『南ドイツ新聞』 ウルリッヒ・ハルトマン)

 ひたすらに真理や美を追究するという建前の学者や芸術家の存在意義(Daseinsberechtigung / raison d'être / raison d'être )ですが、彼らの生活態度を見ていると、往々にしてそんな崇高なことをしているようにも見えないことも多く、実際にはその存在意義などいずこにあるのかと いう疑問も投げかけられています。

        Der Zweck heiligt die Mittel, sagt man und glaubt damit ein brutales Gesetz der Natur zu formulieren. Ist es aber nicht meistens umgekehrt? Die Mittel sind edel, doch der Zweck ist banal, entweiht die Mittel? Wozu dient denn die Kunst der Spinne? Wissenschaftler, Künstler – seid ehrlich: Wozu dient – wem dient Euer Wissen und Können? (Aphorismen.de, Rainer Kohlmayer)

        「目的は手段を正当化する」と言われ、自然の荒々しい法則を定式化したことになっている。しかし大抵の場合はその反対ではないだろうか。手段が高貴でも、 目的が凡庸ならば、高貴な手段も無駄になるのだろうか。蜘蛛の精緻な技巧は、一体何のためにあるのか。学者、芸術家のみなさん、真面目に考えてください ――あなた方の知識や能力は、何のために、いや誰のためにあるのか。(ライナー・コールマイヤー)

 マルクスだけでなく、誰もが驚嘆する、蜘 蛛や蜜蜂の巣作りですが、その精緻な技巧は、実質的にはまず第一に各個体の生存のためにあります。しかし各個体の生存を抜きにしては類としての存続もあり えません。そこで各個のスタンスに類としての運命がかかっているということになります。この類としての存続を維持しようとする機制が、そのため個の本能と して個を規制するものとなります。しかし高等動物となるにつれて、行動の自由が増し、本能的規制が緩やかになってゆきます。蜘蛛や蜜蜂の作業と人間のそれ との違いは、前者が本能的、すなわちそのDNAに書き込まれた指示通りにその作業をする、それもその一定の作業しかできないのに対して、後者の場合はどん な作業でも可能であり、その各個の作業も結果を観念的に先取りした、それぞれに適した設計図の作成から始めるところにあります。そしてその実現のために は、あらゆる技巧と能力を目的意識に従わせて作業をする必要があります。気が向かないから止めたでは、目的を達せません。自己に対する確固とした規律( Disziplin - disciplin - discipline )が必要とされるのです。フーコー( Michel Foucault )などは、この規律の機制を支配と刑罰と結びつけて近代人の抜けられない人格形成を論じています。フランス的エスプリの利いた思い付きとして面白くはあり ますが、真偽のほどは定かではありません。

        Eine Spinne verrichtet Operationen, die denen des Webers ähneln, und eine Biene beschämt durch den Bau ihrer Wachszellen manchen menschlichen Baumeister. Was aber von vornherein den schlechtesten Baumeister vor der besten Biene auszeichnet, ist, daß er die Zelle in seinem Kopf gebaut hat, bevor er sie in Wachs baut. Am Ende des Arbeitsprozesses kommt ein Resultat heraus, das beim Beginn desselben schon in der Vorstellung des Arbeiters, also schon ideell vorhanden war. Nicht daß er nur eine Formveränderung des Natürlichen bewirkt; er verwirklicht im Natürlichen zugleich seinen Zweck, den er weiß, der die Art und Weise seines Tuns als Gesetz bestimmt und dem er seinen Willen unterordnen muß. Und diese Unterordnung ist kein vereinzelter Akt. Außer der Anstrengung der Organe, die arbeiten, ist der zweckmäßige Wille, der sich als Aufmerksamkeit äußert, für die ganze Dauer der Arbeit erheischt, und um so mehr, je weniger sie durch den eignen Inhalt und die Art und Weise ihrer Ausführung den Arbeiter mit sich fortreißt, je weniger er sie daher als Spiel seiner eignen körperlichen und geistigen Kräfte genießt. (Marx: Das Kapital, S. 192f. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 3570)

        蜘蛛は織工の手法に似た作業をこなし、蜜蜂は人間の設計者をも赤面させるような巣作りをする。しかしどんなに劣悪な設計者をもどんなに優秀な蜜蜂から区別 するところは、人間は蝋で以って巣を作る前にそれをすでに頭の中で作り上げるているところにある。労働過程の終りには、その過程の最初にすでに労働者の頭 の中で、すなわち観念的に存在した結果が出来するのである。労働者は自然物の形態変化を達成するだけではない、労働者は自然物において同時に自己の意識し た目的を達成するのであり、その目的は労働者の行動様式を法則として規定し、かつ労働者がそれにその意志を従わせなくてはならないものである。しかもこの 意志の作業への従属は、互いに無関係な個々の行為なのではない。労働者は労働に必要とされる器官を緊張させるだけではなく、注意力として発現する合目的的 意志が労働の全期間において必要とされ、その労働がその固有の内容およびその実現の様式が労働者にとって興味を抱けるような度合いが少なければ少ないほ ど、労働者がその労働を自身の身体および精神諸力の遊戯として見ることができる度合いが少なければ少ないほど、より多く必要とされるのである。(マルクス 『資本論』第1巻)

 科学者や芸術家も個人の生存なくしては、成果の云々もありえません。因みにマルクスは、学問ないしは科学は普遍的労働で あるとも言っています。すぐには目に見えなくとも、大勢の努力により積み重ねられた研究の成果が、結局は社会の進歩に繋がるということになります。産学提 携で直接には大学経営と企業拡大に資するのが、第一義にあるとしても。

        Nebenbei bemerkt, ist zu unterscheiden zwischen allgemeiner Arbeit und gemeinschaftlicher Arbeit. Beide spielen im Produktionsprozeß ihre Rolle, beide gehn ineinander über, aber beide unterscheiden sich auch. Allgemeine Arbeit ist alle wissenschaftliche Arbeit, alle Entdeckung, alle Erfindung. Sie ist bedingt teils durch Kooperation mit Lebenden, teils durch Benutzung der Arbeiten Früherer. Gemeinschaftliche Arbeit unterstellt die unmittelbare Kooperation der Individuen. (Marx: Das Kapital, MEW Bd. 25, S. 113-114)

        ついでに述べておくと、普遍的労働と共同労働とは区別する必要がある。両者ともに生産過程での役割を担い、互いに浸透しあうが、両者の違いもまた存在す る。普遍的労働とは全ての科学的労働、全ての発見、全ての発明を言う。普遍的労働は部分的には生きた人々との協業により、また部分的に過去の人々の労働の 利用により条件付けられている。共同労働には各個人の直接的協業が必要不可欠となる。(マルクス『資本論』第3巻、第3部、第1編、第5章【全集第25 巻】)

次は、国民の資や公共の福祉に繋がらない国家機密や企業秘密を流出させるウィッスル・ブロワーについてのコメントの一つ。

        Der Zweck heiligt die Mittel: Wenn damit mehr Schmutz unserer lieben Volkszertreter ans Licht gezerrt wird, bin ich vollends damit einverstanden. Es müssen nicht immer ehrenwerte Motive sein, schnöder Mammon reicht auch, wenn damit am Ende die Lügen und Betrügereien aufgedeckt werden. Grundsätzlich bin ich eh der Meinung, dass die einzigen Menschen, die in diesem Staat radikal, 100 % durchsichtig und 24h überwacht gehören, Politiker und Lobbyisten sind. (Golem.de, burzum, 19.10.2015)

        目的のためには手段を選ばず――我らをないがしろにする代議士先生の恥部が暴かれるなら、(ウィッスル・ブローも)大賛成です。何も高貴な動機でなくと も、彼らの欺瞞と詐欺が明るみに曝し出されるなら、卑しい金銭的動機でも一向に構いません。原則的には、この国で徹底的に、100 % まで透明に、24h 時間中監視されるべきなのは、政治家とロビイストだと思います。

 Volkszertreter と言うのは Volksvertreter (代議士)をもじった投稿者の造語で、国民を踏みにじる奴らというニュアンスを出した、一種の掛詞のような感じになります。ドイツ各州の財務省がスイスの 著名銀行のウィッスル・ブロワーからドイツ人預金者の番号口座を満載したCDを高額で買い取り脱税者を摘発していますが、国家が違法なCDを買ったりして いいのかという批判に対して、「目的は手段を正当化する」が理由として挙げられています。

        Man kann es so oder so sehen: Bei Gericht wird ein Urteil gesprochen, mit Gerechtigkeit muss das nichts zu tun haben. Die Legalisierung der Hehlerei mit den Steuer-CDs geschieht nach dem Motto: der Zweck heiligt die Mittel, so lange es dem Staat nutzt. Warum lobt dann der Staat eigentlich keine Prämien aus zur Aufspürung von Sozialbetrügern, Schwarzarbeitern etc., die den Staat ebenso schädigen wie Steuerbetrüger? (Focus online, 21.12.2014, Leserbrief, Mirko Cramer)

        そうとも言えるし、こうとも言える――裁判所では判決が下されるが、これは何も正義と関係ある必要はない。脱税CD有償譲受けの正当化は、国に有益である 限りにおいて、「目的は手段を正当化する」のモットーで行なわれる。どうして国は、脱税者と同じように国に損害を与える、社会保障制度を狙った詐欺や闇雇 用などの摘発に懸賞金を出さないのだろうか。(『フォーカス』誌、投書欄)

 もっともな疑問と言えます。エドワード・スノーデン氏が米国諜報 機関の情報収集の方法を内部告発して以来、NSAは至るところで盗聴し、ドイツでも連邦首相らの携帯まで盗聴されていることが明らかとなりました。その件 で内務相が事情聴取のため訪米しましたが、何を訊いても言っても馬の耳に念仏であまり効果は出なかったようです。

         Bitte sprechen Sie doch zukünftig besser ab, welcher edle Zweck nun welche Mittel heiligt. “Dieser edle Zweck, Menschenleben in Deutschland zu retten, rechtfertigt zumindest, dass wir mit unseren amerikanischen Freunden und Partnern zusammenarbeiten, um zu vermeiden, dass Terroristen, dass Kriminelle in der Lage sind, unseren Bürgern zu schaden” (Friedrich 13.7.) “Der Zweck heiligt hier aus unserer Sicht nicht die Mittel.”(Merkel 14.7.2013) (https://machtelite.wordpress.com/2013/06/29/)

         首相と内務相のお二人、どの高貴な目的がどの手段を正当化するか、この次から事前に打ち合わせておきましょう。「このドイツで人命を救助するという高貴な 目的は、テロリストが、犯罪者が、国民を害するような事態を回避するために少なくとも米国の友人やパートナーたちと提携することを正当化しています。」 (フリードリッヒ内相、7月13日)「我々の観点から見て目的は手段を正当化していません。」(メルケル首相、7月14日)

 2016年春、 『南ドイツ新聞』と国際調査報道・ジャーナリスト連合( ICIJ )がパナマのペーパーカンパニー設立を手がける、ある法律事務所の内部文書1150万点を匿名のウィッスル・ブロワーから入手したと発表。タックスヘイブ ンへの租税回避とマネーロンダリング(資金洗浄)を暴露するこの『パナマ文書』は、エドワード・スノーデンの香港での記者会見以来の一大スクープとなりま した。

        Als Mosaikstein auf dem Weg zu mehr globaler Finanzgerechtigkeit hat Wilfried Stadler, Kuratoriumsmitglied der bischöflichen Kommission "Iustitia et Pax", die Offenlegung der sogenannten "Panama-Papers" bezeichnet. [...] Es stärke die Anerkennung transparenter und korrekter Versteuerung als "good practice" der Wirtschaft, wenn nun die Scheinwerfer auf unfaire Finanzpraktiken gerichtet würden. Moralische Grenze in der Grauzone zwischen legitimer und gerade noch legaler, aber unzulässiger Steueroptimierung würden dabei nämlich immer besser sichtbar. / Stadlers Standpunkt zu dem Daten-Hacking in zuvor unbekanntem Umfang, der von der betroffenen panamaischen Anwaltskanzlei Mossack Fonseca als Diebstahl bezeichnet wurde: "Das ist wohl einer jener seltenen Fälle, in denen der Zweck die Mittel heiligt." Die genaue Prüfung der am Sonntagabend von Medien verbreiteten Fälle sei im Sinne des Gemeinwohls, da sie zu mehr Transparenz beitrage und jenen "Umbruch" beschleunige, der schon durch Enthüllungen anderer Steueroasen in Gang gekommen sei. (Katholische Kirche Österreichs, 05.04.2016)

        いわゆる『パナマ文書』の暴露は世界財務正義への道を築く一石であると、カトリック教会司教委員会「司法と平和」のヴィルフリート・シュタードラー理事は コメントしました。[…] 今や不正な財務行為にスポットライトが当てられるようになると、透明で公正な納税を経済における「よい行為」と認知する手助けとなるでしょう。これで適正 な場合とすれすれに適法ではあっても、すべきではないような租税最適化との境界線がさらによく可視化されるようになるということです。データが流出したパ ナマのモサック・フォンセカ法律事務所が盗難と呼ぶ、これまでにない規模のハッキングについての同理事の見方は、「これは今までに稀だった、目的が手段を 正当化する場合の一例です」ということです。土曜日にメディアに発表されたケースをよく吟味することは、さらなる透明化とまたすでに他のタックスヘイブン の暴露により始まった、あの「改革」を速めるという点で、公共の利益に合致することになると同理事は述べました。(オーストリア・カトリック教会)

 しかし組織防衛(目的)が組織を損なう腐敗よりも重要視されることもままあり、腐敗の摘発の禁止が組織維持のための手段として正当化されたりもします。あの カトリック教会とヴァチカンの改革を目指し、多くの信者に希望を呼び覚ましたフランシスコ法王でさえ、この理由からウィッスル・ブロワーやジャーナリスト に対しては一貫して不寛容を貫いています。

        Man kann die Geschichte von Judas, dem Verräter, auch mal andersherum sehen: Ohne ihn hätte Jesus die Welt nicht erlösen können; der Verrat ist einer der Motoren der Geschichte. Im Vatika allerdings gilt für Verräter, was über Judas in der Bibel steht: "Für ihn wäre es besser, wenn er nie geboren wäre." / Den Journalisten Gianluigi Nuzzi und Emiliano Fittipaldi wird gerade ein skurriler Prozess gemacht, weil sie Dokumente aus dem Vatikan veröffentlicht haben, die Missmanagement und Korruption enthüllen - auch auf den Wunsch von Papst Franzikus hin, der zwar Korruption nicht mag, aber anscheinend auch nicht, wenn Journalisten ihren Job machen. (SZ, Matthias Drobinski/Oliver Meiler, 26.03.2016)  

        裏切り者ユダの話は、また逆の観点から見ることも出来る――ユダがいなかったならばイエスは世界を救うことができなかったことになる。裏切りは歴史展開の 原動力の一つなのである。もっともヴァチカンでは裏切り者に対しては、聖書に書かれていることが当てはまる――「彼が生まれてこなかったとしたら、それが 一番良いことだったのに」。ジァンルイジ・ヌッツィとエミリアーノ・フィッティパルディの2人のジャーナリストは、不適切な管理や腐敗を暴露するヴァチカ ンの文書を公開したということで異様な裁判にかけられている――それもフランシスコ法王の要望によってであり、同法王は腐敗を嫌悪するのだが、ジャーナリ ストがその任を果たすのも嫌いらしい。(『南ドイツ新聞』マティアス・ドゥロビンスキ/オリヴァー・マイラー)

 2002年にフランクフルト で子供が誘拐され、逮捕された容疑者は法学部の学生で、誘拐を認めたのに、監禁している場所を白状しないため、拷問にかけると脅されて、ようやく口を割り ました。しかし、時すでに遅く誘拐された子供は死亡していました。その後、一般的に拷問は禁止されているため、拷問の脅しをかけた警察官が起訴されまし た。

        Eine unzeitgemäße Frage: Ist es möglich, dass zwischen der Unantastbarkeit der Menschenwürde und dem absoluten Verbot der Folter ein Zusammenhang besteht? Wäre es denkbar, dass jeder, selbst der gemeinste Verbrecher, der keine Schonung seiner Opfer kennt, zumindest so viel Achtung als Subjekt vom Staat erwarten darf, dass der ihn nicht peinlich, also unter Folter, befragt oder bestraft? Lässt sich der Vorstellung etwas abgewinnen, dass eine rechtstaatliche Folter oder ein folternder Rechtsstaat so unvereinbar sind wie eine demokratische Diktatur? Die Frage mag absurd erscheinen, aber sie ist in der Bundesrepublik fünfzig Jahre lang bejaht worden. Es wurde sogar behauptet, die Menschenwürde stehe nicht zur Disposition des Gesetzgebers, und nicht erst die Folter, sondern bereits die Lockerung des Folterverbots sei ein Anschlag auf die Verfassung, die auf der Unantastbarkeit der Menschenwürde beruhe. Zuletzt hat diese Auffassung die 27. Große Strafkammer des Landgerichts Frankfurt am Main in seiner Entscheidung über den ehemaligen Polizeivizepräsidenten Wolfgang Daschner formuliert. Es ist zu erwarten, dass ihr nicht mehr allzu viele folgen werden. Die Richter selbst scheinen gespürt zu haben, dass ihre Verurteilung der Folter keineswegs "im Namen des Volkes" erging - anderenfalls hätten sie den uneinsichtigen Beamten, der eine Information aus einem Tatverdächtigen herausprügeln lassen wollte, nicht mit einer Verwarnung davon kommen lassen. Die Zeit war über die Entscheidung der Großen Strafkammer schon hinweggegangen, noch ehe es gesprochen war. Nicht nur die überwältigende Mehrheit der Deutschen, auch zwei bedeutende Kommentare zum Grundgesetz halten die Preisgabe der Menschenwürde für erlaubt, ja für geboten, sofern das der Schutz eines anderen menschlichen Lebens verlangt. Mit anderen Worten: Der Zweck heiligt die Mittel. Die Menschenwürde ist auch künftig unantastbar, sofern sie anderen Grundrechten nicht ins Gehege kommt. (Berliner Zeitung, Christian Bommarius, 23.12.2004)

        ここにあまり時代にそぐわない問いがある――人間の尊厳の不可侵性と拷問の禁止との間には何らかの関係があるだろうか。はたして誰もが、その犠牲者に慈悲 を持たないような極悪犯罪人でさえもが、最低限痛みを伴う尋問や刑罰を避ける、すなわち拷問をしないように、国家から主体として尊重されることを期待でき るであろうかという問いである。常軌を逸したようにも見えるこの問いは、しかしドイツではこの50年間首肯されてきたのである。さらに人間の尊厳は立法者 の裁量に委ねられるものではなく、拷問どころか、拷問禁止の緩和でさえ、人間の尊厳の不可侵性を基盤とする憲法違反となると言われてきたのである。最近こ の見解を唱えたのは、フランクフルト地裁の第27刑法大法廷で、ヴォルフガング・ダシュナー前フランクフルト警察副本部長が起訴された公判で判決が下され た。しかしこの見解がこの先も多くの賛同者を得るとは考え難い。当の裁判官たちもその拷問禁止の判断が全く「国民の名において」下されたものではないこと を察知しているように見受けられる――さもなくば、情報を得るために容疑者を拷問にかけると脅した公僕である、理解に欠ける副本部長をただの戒告処分だけ で済ませるはずがないからである。時代の風潮は、今回の判断が下される以前に、ずっと先に進んでいるのだ。ドイツの国民の大多数のみならず、憲法解釈にお いてもすでに2件の解釈で、人間生存の保護が要請される場合には、人間の尊厳条項を無視してもよいだけではなく、する必要があるとされている。言い換えれ ば――目的は手段を正当化するとなる。人間の尊厳は、他の基本的人権に抵触しない限りは、この先も不可侵と言える。(『ベルリン新聞』クリスティアン・ボ ンマーリウス)

 同時進行的にアメリカは、国外のグアンタナモやイラクのアブグレイブ、さらにポーランドなどで捕虜虐待や拷問をし、それが発 覚してからも、お座成りの措置をとっただけで済ませています。ナイン・イレヴンを契機として、テレビでもキーファー・サザーランド主演の『24 -TWENTY FOUR-』などを嚆矢とし、近くはオバマ大統領もファンだと言う『HOMELAND』など、大量破壊兵器を使おうとするテロリストに対しては拷問も許さ れるというメッセージのシリーズが多く作られることになりました。

 最近も凶暴な自称「イスラム国」掃討の空爆で民間人の死傷者も増えていますが、このような場合にもしばしば「目的は手段を正当化する」の論理が援用されます。

        The government says that "the end justifies the means", so killing one thousand people to save one million people will be acceptable. (englishclub.com/ref/esl/Sayings/T/The_end_justifies_the_ means_844.htm)

        政府は「目的は手段を正当化する」と言っており、百万人の命を救うためには千人を殺害することも容認できることになる。(ネットの英語学習サイト)

 アメリカが日本に原爆を落としたのも、その時点までに戦死した以上のアメリカ兵の犠牲者を避けるためだったと弁明しています。これも「目的は手段を正当化す る」と言っているわけですが、果たして「手段の適合性」(Verhältnismäßigkeit der Mittel / proportionality of the means / proportionalité des moyens)が妥当だったのかが問われるところです。実際的には戦後世界へのソ連の台頭という背景があったこともあり、アメリカが戦後世界レジームで自 国の優勢をいち早く確保しようとしたのも本当でしょう。ただ自国民の被害など度外視して竹やりでも何でもひっ下げて、ひたすらに徹底抗戦だと叫んでいた軍 部の狂信者たちの存在を考えれば、米国の言い分もある程度説得力を持ってくるとも言えますが。

 アメリカはまた開戦から間もなく日系人と日本 人移民を強制収用しており、当時の調査で90%以上がアメリカに忠誠を尽くすと出ているのに、終戦になるまで開放しませんでした。これも戦争遂行という目 的のための手段として正当化されていたのです。この件に関しては、その後何度か謝罪も行なわれ、1992年からは全ての現存者に賠償金が支払われていま す。また2012年には、ロサンゼルス郡参事会が当時行なわれた強制収用を求める決議を取り消しています。今さら何をと言う意見もありますが、象徴的意味 が大きい場合もあります。

 

FK 「目的は手段を選ばず」 と 「罵倒語」は面白かったです。目的は手段を選ばずという語を初めて聞いたのは、暴力革命の是非の議論のときだったように記憶しております。権力を持った者は、このディレンマを強く感じるでしょうね。パナマ文書のことにも言及されており、アクチュアルです。罵倒語で英独仏語が学べて楽しいです。罵倒語の語彙が豊富なのは英独仏で、日本は乏しいのではないでしょうか。言語でなく、身体で罵倒するので、前近代的なのでしょうか。