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La source d'Ingres,  Paris  ©DeepStSky 

0024 Sendungsbewusstsein - sense of mission - conscience de sa mission - 使命感

2016/01/27 投稿

 この言葉はドイツ語と日本語では、ぴったりと来るのに対して、英仏語では何となく気の抜けたものになりますが、どうしてでしょうか。

 日本にはミッション系の学校が少なからずありますが、これは明治維新後に来日した伝道師たちにより創設されたものです。日本にも江戸時代前には宣教師が多く来ていました。中世も終わろうとする頃、スペインを始めとする当時の西洋諸国か ら自らの使命(ミッション)に燃えた宣教師たちが世界中に派遣されたからです。今でも各国が派遣する使節や外交官のことをミッションと言います。『ミッ ション:インポッシブル』という映画がありますが、もとは 1960 年代半ばのテレビ番組で、その当時は『スパイ大作戦』と邦訳されていました。この「ミッション」という言葉はどうも訳しにくいようで、「超難事の使命・不 可能なる任務」などといっても、何となく座りが悪そうなので避けられたのでしょう。ともあれ、何らかのイデオロギーを実践に移そうとする人たちが使命感を 抱き、宣教師や革命家になります。ドイツでも 1960 年代後半、大都市や大学町で、学生や知識人層を中心に革命の兆しが見られるようになりました。

        Hans Magnus Enzensberger kehrte 1965 aus Norwegen zurück, kaufte das Haus für wenig Geld und residierte in Friedenau als Nachbar von Max Frisch, Günter Grass und Uwe Johnson. / Es muss eine gute Zeit gewesen sein: Grass trank mit Uwe Johnson und Günter Bruno Fuchs, und Lars Gustafsson staunte über Enzensbergers IBM-Schreibmaschine und das Sendungsbewusstsein der deutschen Kollegen. Zuletzt ereignete sich da sogar ein bisschen Weltgeschichte: Enzensbergers Frau zog aus und schloss sich der Kommune 1 an, die drüben in der Niedstraße in Johnsons Atelier untergekommen war. Als der Staatsschutz 1967 Ungemach für den amerikanischen Vizepräsidenten fürchtet, hebt die Polizei die dilettierenden Revolutionäre aus, was Johnson der New York Times entnehmen muss und ihn sich über die "revolutionare Aktivitaet der enzensbergerschen Sippe gegen meine Wohnung" empören lässt. Grass muss das "undichte Urchristentum" beenden; auch die Freundschaft mit Enzensberger wird aufgekündigt. (SZ, Willi Winkler, 30.11.2015)

        ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーは、1965 年にノルウェーから戻り、その家を安く購入し、マックス・フリッシュ、ギュンター・グラス【後にノーベル文学賞受賞】、ウーヴェ・ヨーンゾンの隣人として ベルリンのフリーデナウ区に居を構えることになりました。この頃は、本当に良かったに違いない――グラスがウーヴェ・ヨーンゾンやギュンター・ブルーノ・ フックスと共に酒を飲み、【スウェーデン人の】ラルス・グスタファーソンがエンツェンスベルガーの IBM タイプライターやドイツ人作家たちの使命感に仰天していた、あの時期。終いにはちょっとした世界史的事件まで起こりました――これはエンツェンスベルガー 夫人が、近くのニート通りにあるヨーンゾンのアトリエで立ち上げられたコンミューン1に参加しようと家出を決行したことに始まります。折りも折り 1967 年のアメリカ副大統領訪独に際して公安警察がコンミューンのメンバーによる騒動を恐れ、機動隊が革命家気取りのたむろするアジトを急襲し、住人を逮捕しま した。これを『ニューヨーク・タイムズ』紙で読んだ滞米中のヨーンゾンが「エンツェンスベルガー一派による私の住居に対する革命的行状」に憤るという一幕 となりました。それでグラスが【ヨーンゾンから】「疎漏な原始キリスト教団」を解散させるように依頼され、またエンツェンスベルガーとの仲も絶交となって しまいました。

 当時はワープロやパソコン以前のタイプライターの時代で、普通のは手動ですから、ある程度指に力を込めてキーを叩く必要があ りましたが、それを軽減するために電動式が開発され、さらに IBM 社がボールヘッドを考案しました。これは印字する活字を球の表面に配置したもので、ゴルフボールのようなタイプヘッドが上下左右前後だけでなく、360度 の球面を余すところなく超高速に回転して印字してゆくもので、まさに究極の技術製品、本当に見てびっくりでした。

 ドイツでは近世初めに封建領主に抵抗したドイツ農民戦争がありましたが、これは牧師をしていたトーマス・ミュンツァーが主導したものです。

        Der theologische Rahmen seines Sendungsbewusstseins ist nicht eindeutig zu bestimmen. Als akademisch gebildeter reformatorischer Theologe achtete er die altkirchliche Bekenntnistradition (Trinitätslehre), setzte aber eigene Akzente. Im Zentrum seiner Verkündigung stand die Aufgabe, den „gedichteten“ Glauben zu entlarven, auf dem unverzichtbaren, leidgeprägten Weg eines jeden Menschen zum wahren Glauben in der Nachfolge Christi zu bestehen, das göttliche Gericht anzukündigen und dazu beizutragen, die ursprüngliche Ordnung Gottes mit der unmittelbaren Herrschaft Gottes über die Menschen und der Menschen über die Kreaturen wiederherzustellen. In seiner Argumentation orientierte Müntzer sich an der Bibel, die er nach dem Vorbild der frühkirchlichen Tradition als Einheit verstand. (http://thomas-muentzer.de/person.htm, aufgerufen am 01.12.2015)

        ミュンツァーの使命感の神学的枠組みを明確に定めることはできない。大学で学んだ宗教改革神学者として、旧教会の宗派的伝統(三位一体の教理)を尊重した が、力点のおき方に独自性があった。彼の説く教えの主眼は、「でっちあげの」信仰の化けの皮を剥ぐこと、キリストに倣い真の信仰へと向かう全ての人間が、 避けることのできない苦難に満ちた道を歩き続けること、神の裁きの到来を告げること、そして、神が人間を、人間が被造物を直接支配するという、原初の神の 秩序を再興するために尽力することであった。論拠を示すにあたって、ミュンツァーは聖書に立ち返った。彼は初期キリスト教会を模範として、聖書を「一つの もの」として理解した。(訳http://thomas-muentzer.de/person_jp.htm)

 原始キリスト教とは、キリスト教が発生した当時の教えであり、その信者は大部分がユダヤ人であったろうと推測されますが、現在のイスラエルにもその正統な後継者を名乗るメシア派ユダヤ人という教派があり、数千人の信者がいるようです。

        Einen Teil des Selbstverständnisses der messianischen Juden bildet ihr Sendungsbewußtsein dem jüdischen Volk, der Kirche und der ganzen Welt gegenüber. Dieses Sendungsbewußtsein der messianischen Juden findet seinen Ausdruck in der Weitergabe des Evangeliums, es bezieht aber auch sehr stark die irdischen Komponenten der Heilsgeschichte ein: So reisen z.B. viele messianische Juden in die Sowjetunion, um die dortigen Juden zur Rückkehr nach Israel zu ermutigen. (Andreas Hornung: Messianische Juden zwischen Kirche und Volk Israel, http://www.segne-israel.de, aufgerufen am 01.12.2015)

        メシア派ユダヤ人の持つ使命感は、ユダヤ民族、キリスト教会、全世界に対する、その自己了解を形成するものの一つです。このメシア派ユダヤ人の使命とは、 世界に福音を広めることにありますが、その実践の中には救済史の世俗的部分も大きな位置を占め、例えばソ連在住のユダヤ人をイスラエルに呼び戻すために多 くの信者がソ連に伝道に行きます。(アンドレアス・ホルヌング『キリスト教会とユダヤ民族の間のメシア派ユダヤ人』)

 宣教師や革命家にも負 けないのが、アメリカ人の使命感で、これを盾に遠くはアメリカ・インディアンを蹴散らし、近くはアフガニスタンのタリバンを放逐し、イラクの大量破壊兵器 まででっち上げることになりました。しかし往日の栄光はすでになく、タリバンの逆襲が恐れられ、イラクも危ういところで自称イスラム国に征服されるところ でした。

        Sendungsbewusstsein als Grundlage des amerikanischen Imperialismus: Mit dem Sieg über Spanien 1898 begann der Aufstieg der USA zur Großmacht. Weite Teile der amerikanischen Öffentlichkeit wurden nun von traditionellem Sendungsbewusstsein und Missionierungsdrang erfasst, basierend auf der Manifest Destiny aus den frühen 40er-Jahren. Darin wurde zum Ausdruck gebracht, dass die USA vom Schicksal dazu auserwählt worden sei, die demokratische Gesellschaftsordnung über den ganzen amerikanischen Kontinent zu verbreiten. Diese Mission rechtfertigte auch territoriale Expansion. Damit wurden der Krieg gegen Mexiko und die Westwanderung begründet. Nun wurde die Manifest Destiny weitergeführt und internationalisiert. Ein neuer, agressiver Nationalismus griff in den USA um sich. [...] Hauptsächlich Journalisten und Wissenschaftler trugen zu einer Wiederbelebung des Sendungsbewusstseins der Manifest Destiny bei. Sie propagierten die Überlegenheit der „angelsächsischen Rasse“, deren Berufung es sei, andere Völker politisch zu erziehen. (lernhelfer.de/schuelerlexikon/geschichte, aufgefufen am 02.12.2015)

        アメリカ帝国主義の基礎としての使命感―― 1898 年の米西戦争の勝利と共にアメリカは大国への道を歩み始めた。米世論の大部分を 1840 年代初期の「マニフェスト・デスティニィー(明白なる運命・使命)」に基づいた伝統的使命感と伝道意識が占めるようになった。民主的社会秩序を米大陸全土 に広めるようにとアメリカが選ばれたのが、アメリカの運命(使命)であるという考えである。このミッションは領土の拡大をも正当化する。米墨戦争や西部開 拓もこの使命に適ったものとなった。今や「明白なる使命」は続行されるのみならず、国際化される。新たな攻撃的ナショナリズムが米国全土を席捲するように なった。主にジャーナリストと学者たちが「マニフェスト・デスティニィー」の使命感の再興に寄与した。彼らは、「アングロ・サクソン」民族の優位を説き、 他民族に政治教育を施すのが英米の天命であると喧伝した。(オンライン高校生用歴史事典)

 「マニフェスト・デスティニィー」を立体的に象徴 したのが、アメリカ合衆国の大体、真中あたりに建てられたゲートウェイ・アーチでしょう。ミズーリー州セントルイス市のミシシッピ河畔に聳え立つ 200m ほどの高さのアーチは、西部開拓を記念して 1965 年に建てられたものですが、市内のどこからでも見えます。このあたりが、西部へのゲートウェイという名が示すように 1803 年にフランスからミシシッピ河以西のルイジアナを買収したアメリカ合衆国の西部進出の起点となったところです。アーチがどこから見えると言ってもセントル イスの街自体は 36 万人足らずの人口ですので問題ありませんが、別項(0004参照)で述べたようにセントルイス都市圏は 300 万人近くあり、大都市圏からでは見えないところも多く出てきます。街中には 1904 年の万国博覧会跡地で、ニューヨークのセントラルパークを凌ぐ面積のフォレストパークがあり、動物園や入場無料の美術館などの施設を有した市民の憩いの場 となっています。また万博と同時に開催されたオリンピックの競技場を敷地内に持ち、ランキングでは国内十指に入るワシントン大学(ワッシュー WashU)を始めとして数多くの大学もあり、さらに遺伝子組換作物のモンサントなどの大企業も多くあるのに、物価が安いことでも有名な都市です。

 対岸の イリノイ州に属するイーストセントルイス市は、戦前は栄えていましたが、アフリカ系住民のスラム化が進み、今では一般人には事実上の立ち入り禁止地域 (no go area)となってしまいました。ハイウェイの出口をまかり間違って市域に進入したとしても、絶対に車から降りずに、できるだけ早く街から脱出するように と言われているほどです。またセントルイス市の北部に位置する諸都市も貧困層の黒人が占める割合が高く、2014 年にファーガソン(Ferguson)市で無防備の黒人青年が白人警察官に射殺され、その警察が不起訴になっとところから、暴動に発展したことは記憶に新しいことでしょう。

 

GatewayGatewayMississippiMississippiSt Louis Art MusiumSt Louis Art Musium   アーチ   ミシシッピ河(アーチから望む) フォレストパーク(美術館)all ©DeepStSky

 

 Sendung という語は、本来「送る」というところから、「派遣する」や「電波を送る=放送する」という意味も出てきます。次の記事は、その掛け言葉を生かしたものです。

        Radio Paradiso: Was wäre Christentum ohne Sendungsbewusstsein?: Brandreden gegen die Scheidung sind lange passé. Bei Radio Paradiso gibt es heute Queen und Besinnlichkeitssnacks. Der christliche Sender liefert den Soundtrack für melancholische Großstadtnächte. (Die Welt, Anne Waak, Christian Werner, 06.08.2015)

        ラジオ・パラディーゾ(極楽ラジオ)――使命感(放送意識)なしのキリスト教とは、どんなものでしょうか。離婚大反対のアジテーションなどは、最早過去の ものとなりました。今ではラジオ・パラディーゾからクイーンの曲や瞑想的バックグラウンドミュージックが流れています。このキリスト教放送局は、憂愁に満 ちた大都会の夜にイージーリスニングを提供するものとなったのです。(『ヴェルト』紙、アンネ・ヴァーク、クリスティアン・ヴェルナー)

 よく似た言葉に Pflichtbewusstsein / sense of duty, conscientiousness / sens du devoir / 義務感があります。これを日本語と同じように Pflichtgefühl / feeling of duty / sentiment du devoir と言うこともできますが、前者の方がよく使われるようです。

        Pflichtbewusstsein zeigt sich im Arbeitsalltag immer dann, wenn Aufgabenstellungen sorgfälltig, verantwortungsbewusst und auch mit einer gewissen Disziplin bearbeitet werden. (www. wissen-bewerbung.de/bewerbungsabc, aufgerufen am 11.01.2016)

        義務感は日常の業務では、常に当面与えられた課題に対して、責任感と一定の規律をもって臨むところに見られます。(応募関連HP)

 こんなことを言われると、トラファルガーの海戦でネルソン副提督が発した旗信号「英国は、各人がその義務を全うすることを期待する」(England expects that every man will do his duty)やこれに倣った日本海海戦の東郷連合艦隊司令長官のZ旗も思い出されます(皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ)。

義務感は、責任感と規律からなると上記で言われているように Verantwortungsbewusstsein / sense of responsibility / sens de responsabilité / 責任感ということばもよく使われます。これもまた日本語と同様に Verantwortungsgefühl / feeling of responsibility / sentiment de responsabilité とも言えますが、前者の方がよく使われるようです。

        Bundespräsident Joachim Gauck hat als Konsequenz aus der Finanz- und Schuldenkrise von der Wirtschaft mehr Verantwortungsbewusstsein gefordert. "Verantwortlicher Kapitalismus ist möglich", sagte Gauck beim "Führungstreffen Wirtschaft" der "Süddeutschen Zeitung" in Berlin. Er sprach sich zudem für klare Grenzen des wirtschaftlichen Handelns aus. (N24, aufgerufen am 15.11.2012)

        ヨアヒム・ガウク連邦大統領は、財政危機および債務危機の教訓として財界がもっと責任感を持つように要請した。南ドイツ新聞主催でベルリンで開かれた「財 界リーダーミーティング」に出席したガウク大統領は、「責任ある資本主義は可能である」と言い、さらに経済行為に対して明確な線引きを図ることに賛意を表 した。(N24【TV】)

 明確な線引きが必要ではあっても、それで一件落着で後は野となれ、山となれというのでは、何にもなりません。過去 を過去たらしむとしても、それから現在への教訓を引き出すところに歴史を学ぶ意味があるのでしょう。一歩進めて、西独当時のヴァイツェカー大統領は、現在 生きる人々は過去に対して責任を負うと言っていました。

        Es gab viele Formen, das Gewissen ablenken zu lassen, nicht zuständig zu sein, wegzuschauen, zu schweigen. Als dann am Ende des Krieges die ganze unsagbare Wahrheit des Holocaust herauskam, beriefen sich allzu viele von uns darauf, nichts gewußt oder auch nur geahnt zu haben./ Schuld oder Unschuld eines ganzen Volkes gibt es nicht. Schuld ist, wie Unschuld, nicht kollektiv, sondern persönlich. / Es gibt entdeckte und verborgen gebliebene Schuld von Menschen. Es gibt Schuld, die sich Menschen eingestanden oder abgeleugnet haben. Jeder, der die Zeit mit vollem Bewußtsein erlebt hat, frage sich heute im Stillen selbst nach seiner Verstrickung. / Der ganz überwiegende Teil unserer heutigen Bevölkerung war zur damaligen Zeit entweder im Kindesalter oder noch gar nicht geboren. Sie können nicht eine eigene Schuld bekennen für Taten, die sie gar nicht begangen haben. / Kein fühlender Mensch erwartet von ihnen, ein Büßerhemd zu tragen, nur weil sie Deutsche sind. Aber die Vorfahren haben ihnen eine schwere Erbschaft hinterlassen. / Wir alle, ob schuldig oder nicht, ob alt oder jung, müssen die Vergangenheit annehmen. Wir alle sind von ihren Folgen betroffen und für sie in Haftung genommen. / Jüngere und Ältere müssen und können sich gegenseitig helfen zu verstehen, warum es lebenswichtig ist, die Erinnerung wachzuhalten. / Es geht nicht darum, Vergangenheit zu bewältigen. Das kann man gar nicht. Sie läßt sich ja nicht nachträglich ändern oder ungeschehen machen. Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart. Wer sich der Unmenschlichkeit nicht erinnern will, der wird wieder anfällig für neue Ansteckungsgefahren. / Das jüdische Volk erinnert sich und wird sich immer erinnern. Wir suchen als Menschen Versöhnung. / Gerade deshalb müssen wir verstehen, daß es Versöhnung ohne Erinnerung gar nicht geben kann. Die Erfahrung millionenfachen Todes ist ein Teil des Innern jedes Juden in der Welt, nicht nur deshalb, weil Menschen ein solches Grauen nicht vergessen können. Sondern die Erinnerung gehört zum jüdischen Glauben. (Richard von Weizsäcker, Gedenkrede zum 40. Jahrestag des Endes des Zweiten Weltkrieges in Europa, 8. Mai 1985)

        良心を直視しないですむ方法は、いくらでもありました――自分の担当ではない、見て見ぬ振りをする、口を閉ざす。そして戦争終結後になってあの言語を絶す るホロコースト(ユダヤ人迫害)の全貌が明るみに出された時、私たちのうちの少なからぬ人々が、全く知らなかった、ほんの予感でしかなかったなどと言い訳 をしました。民族自体の罪や無実というものはありえません。罪も無実も集団的なものではなく、個人的なものです。罪のうち暴かれた罪もあり、明るみに出さ れなかった罪もあります。告白された罪もあり、否認し続けられた罪もあります。当時を完璧な意識の下に生きた誰もが、今日自分の関わりはどうであったかと 密かに問い直していただきたいと思います。今日生きている大部分の人々は、当時子供であったか、まだ生まれていなかった人々です。そのため自分の犯さな かった行為に対して罪を告白することはできません。ドイツ人だからというだけで、改悛の襤褸を纏って罪をあがなうようにとは、心ある人なら誰も要求しない でしょう。しかし先人からの悪しき遺産が残されたのです。私たちは罪があろうがなかろうが、老いていようが若かろうが、ここに皆でして過去を受け入れる必 要があります。私たちは皆、過去の効果の当事者であり、過去に対する責任を負っているのです。老いも若きも共になぜ想起を絶やさないようにすることが肝要 であるのか、理解するのを互に手助けする必要があり、またこれは可能なことでもあります。過去を克服することが問題になっているのではありません。そんな ことは不可能なことです。過去は後になって変えられるものではないし、またまったくなかったことになどできはしません。しかし過去に対して目を閉ざす者 は、現在に対してもまた盲目となるのです。非人道的行為を想起したくない人は、新たな感染の危険に対してもまた無力なのです。ユダヤ民族は想起し、また永 遠に想起し続けることでしょう。私たちは人間としての和解の道を模索します。まさにそのため想起のないところに和解の道もまたありえないことを理解する必 要があります。何百万人の死者の経験は、世界中のユダヤ人個人の内面の一部となっているのです。それは人はそのような惨事を忘れることができないからであ るだけではありません。それは想起というものが、ユダヤ教信仰の一部となっているからでもあります。(リヒァルト・フォン・ヴァイツェカー、欧州戦後 40 年記念演説)